心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

運命論 or 自由意思論 天王星を考える

先週のティル予習会のディスカッションで、芳垣氏がそんな話に触れていた。

心理占星術は、個人の自由意思を重んじすぎるのではないか。

かつての人間社会、運命論的な社会での幸福を見直す必要があるのではないか。

芳垣氏は、運命論で導かれる可能性と個人の自由意思で決定づけることのできる可能性を半々で考えていると言った。

私は、「トランスサタニアンの影響が社会に見えない不安が生じさせている」と発言した。

これは、大まかに運命論を天王星発見以前、自由意思を天王星発見以降と捉えての発言だった。

今日はそれに、少し補足を加えたいと思う。

実際私は、運命論も自由意思論も同じものだと考えている。

松村先生の言う「進化の流れ」が運命論、「創造の光線の下降」が自由意思なのではないか。

つまり、トランスサタニアン的宇宙意思というのが、人々の考える自由意思というものなのではないかと。

それを考えるのに、まずは天王星の有り様について考えてみたいと思う。

私の初級講座に出ている人は気付いていると思うが、私はトランスサテニアンの発見時期に妙な執着を見せている。特に天王星に(私のホロスコープを知っている人は、その理由がわかるはず)。

天王星の発見は1781年。

この時期、イギリスの産業革命(1760年代から1830年代)、アメリカの独立宣言(1776年7月4日)、フランス革命(1789年7月14日バスティーユ襲撃)などが勃発。

ここから、天王星にはテクノロジーや革命、改革などの象徴が当てはめられている。

天王星発見以前は、土星的秩序があちらこちらにはびこり、個人はある特定の共同体、ルール、システムに縛り付けられていた。

けれど、そのおかげで個人は「他を知らない」という理由も含め、ある安定の中で生活することができていた。

しかし、天王星の発見以降、個人は様々な自由を手にすることになる。

下記の図を見てもわかる通り、古典の支配星においては、月=個人的私生活と太陽=個人の人生観や目的意識に対して、土星が管理力を、または支配権を持っていた。

そして1781年以降、太陽の真向かいには、補完作用として天王星が君臨することになった。

つまり個人の人生観に、自由や個性、独立といった可能性がいやおうにも開かれてしまったことになる。

天王星には同時に、疎外や変化といった不安定な象徴を持っていることを考えれば、以降、個人的な悩みが増大していくことも大いに考えられる。

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カール・マルクスはこう言う。

「人間の存在を決定するものは、人間の意識ではない。それと反対に人間の意識を決定するものは、その社会的な存在なのである」

土星的制約の中で、人はどれだけの安心や安定を得られてきたのか。

社会的存在として、人はどの程度の幸福を感じることができたのだろう。

天王星的自由や変化は、本当に人々の暮らしを脅かすものなのか。

おそらく、そう簡単な話ではないのだろう。

土星天王星は、常に背中合わせの存在なのだ。

天王星の解釈の中に、「土星という土台の上で大砲を打つ」というのがある。

天王星水瓶座が、なぜ山羊座土星の次に配置されているのか。

それを考えれば明らかだ。

土星的基盤を足掛かりにしなければ、天王星はただの無節操な反逆児(イギリスの暴動のような)になり下がる。

現在も天王星は活発化している。

2008年11月から2010年7月にかけて、4回のトランジット天王星土星オポジションによるコンタクト。

この時期には、アメリカでは初のアフリカ系アメリカ人大統領の選出、日本でも1955年以来、初の政権交代と変化が著しかった。

そして今年、春分図を見てもわかる通り、天王星が本格的に牡羊座入りをした。

アラブでは、反政府デモの嵐が長期独裁政権を崩壊へと追いやり、日本では東電やテレビ局などの体制が物議を醸している。

来年には、天王星冥王星とのタイトなスクエアが形成される。

さて、では天王星的宇宙&自由意思の時代に脅かされず、どのように安定を保ちつつ利用していこうか。

前出の本「禅と精神分析」で、フロムは「最良の状態に近づく実践」として、有意義な天王星的解釈を披露してくれている(天王星には「悟り」の意味もあるから、精神分析=禅修行のステップに土星天王星の流れを考えるのは有効)。

「彼が現実であると信ずることの大抵のものは、彼の心の作り出した虚構の組み立てである。彼は彼の社会的機能が必要とする程度において現実に気づく。仲間が協力する必要のある限りにおいて、彼らに気づく。彼は生存の目標がそのように気づくことを必要とする限りにおいて現実に気づく」

「人は生活している社会的なグループとの接触を失うならば、彼はまったくの孤立を恐れるようになる。この恐れゆえに”考えられること”を考えないようになる。社会的目標と人間的目標との間の葛藤が大きければ大きいほど、それだけ個人は二つの危険な孤立の極の間に引き裂かれる。自分の良心に従って行為する能力は、その人がその人の社会の限界を超え、世界の一市民”コスモポリタン”になっている度合いに依存している」

松村先生は山の絵を描いて、ローカル=土星と普遍性=天王星の説明をしている。

所属している社会を土台に、より広い世界に向けて意識を広げること。

自由による不安定さではなく、より大きな世界の一部であると気づくこと。

そして「理性を発展させ、客観性や意識や愛情を十分発達させることによって、新しい調和の状態へと努力することができる」とフロムは説く。

なるほど、この辺はすごく天王星的。

そのためにも、個人は無意識から意識的に転じていく必要がある。

それができた暁には、

「真っ暗な部屋の中に一本のろうそくが点ぜられるとき、闇は消え、光明となる。しかし、十本、百本、千本のろうそくが加えられると部屋はさらに明るくなってゆく。だが、決定的な変化は闇の中を照らした最初の一本のろうそくによってもたらされたのである」

こんな不安定な時代だからこそ、私たちはまず、自己の中に光を照らす必要があるのかもしれない。

つまり、宇宙からの意思、創造の光線を利用する時代が来たということだ。