心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

月と質問

忙しい日が続くと、背中がスカスカする。

エネルギーが枯渇し、体からすっかり生気が抜けたような感じになる。

こんな時は、自然の力を借りるしかない。

折しも、昨日は美しい魚座の満月。

ということで、夜の講座の終了後、てくてく歩いて西郷山公園に行ってみた。

丘の草むらには、すでに横になっている人たちが何人かいた。

せっかくだから、私も横になって名月を観賞。

月と草のチクチクと秋の虫、そして月光を反射する雲やら揺れる木々やらに抱かれ、深海にいるような気分になる。

危うく朝まで寝過ごしそうだった。

そんなユルユルの最中、ティルの予習会に来てくれた方からの「先生の占星術における目的は何ですか?」といった質問について、ぼんやりと考えてみた。

人の役に立ちたい。

クライアントに喜んでもらいたい。

クライアントを癒すことで、自分も癒されるから。

おそらく、ほとんどの占星術師はこう答えると思う。

私の答えも、多分そんなところだろう。

けれど、もしかしたら、そんな大層な理由もないのかもしれない。

たまたま、私は占星術の技術を身に付け、それを生業にしようと決めただけなのかも。

最初から、そんな大義があったわけではないのかも。

F1のチャンピオン獲得記録を更新したドライバーのミハエル・シューマッハは、勝利の秘訣について尋ねられたインタビューで、このように答えた。

「私は、ただ仕事としてレーサーを選んだ。そして仕事としてレースをこなしている」

あんな過酷なチャンピオンリーグを7回制覇し、「仕事ですから」と答えられる彼の圧倒的な職人気質。

さすが、山羊座だね。

仕事について考えるとき、私はいつでもこのシューマッハの言葉を思い出す。

「仕事として占星術師を選んだ」

そう考えると、憤りや奢りが初心と責任にとって代わる。

中国のお話にも同じような言葉を見つけたことがある。

雨を降らせる祈祷師がどこかの農村地に呼ばれ、見事に雨をもたらした時、村民から「あなたは神のようなお方だ」と手を合わせて崇められた。

それに対し、祈祷師は「時と環境を知る。それが私の仕事なだけだ」と答えたという。

占いとかをやっている人たちは、時に「当てた」とか「喜ばれた」とかと言っているけど、それが仕事なんだったら、それって少しも偉くない。

それぞれの仕事には、それぞれの技術の技術がある。

その仕事に誇りを持っていれば、後は真面目に勤めを果たすだけ。

それ以上でもそれ以下でもない。

なので、私は今日もコツコツ講座や鑑定をする。

結果や評価ではなく、仕事として占星術の技術を磨く。

だったら、疲れた言わずに頑張らなくちゃ。