心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

空海とフローネ

今日は久しぶりに時間が取れたので、滑り込みセーフで「空海密教美術展」に行ってみた。

しかし、これがビックリの大混雑!

入館待ち40分ってさ、ベルサイユ宮殿並みの人気ぶりだよ。

「この夏、マンダラのパワーを浴びる」っていうキャッチもなかなかだったしね。

仕方ない。

忍耐&辛抱の心持で中に入ったはいいけど、とにかく冗談みたいに人が多かった。

胎蔵界曼荼羅やら、立体曼陀羅やら、見どころは満載なのだけど、所々で人と人との小競り合いが聞こえてきて、「これぞ人間界」と有難味より面白みのほうが印象に刻まれたのだった。

一応、弘法の言葉をひとつ。

三界の狂人は狂せることを知らず

四生( ししょう)の盲者は盲なることを識(さと)らず

生まれ 生まれ 生まれ 生まれて 生のはじめに暗く

死に 死に 死に 死んで 死の終わりに冥(くら)し

迷いの世界に狂える人は、狂っていることを知らない。真実を見抜けない。

生きとし生けるものは、自分が何も見えていない者であることがわからない。

わたしたちは生まれ生まれ生まれ生まれて、生のはじめがわからない。

死に死に死に死んで、死の終わりを知らない。

つまり、人間のいのちは永遠で死んでも死なないし、また再び生まれ変わる。

それが真実であるというのに、知ろうとしないのであれば、一体いつになったらこの真実を知るのか。

この真実を知ろうとせず、このまま悩み苦しみ続けるのか…みたいな意味。

「冥い」っていうのは、道理がわからない愚かなことを言う。

まあ、悩まず生きろってことだ。

このように私には、西洋=ティルから東洋=空海への振り子運動が必要だった。

たとえ母親問題が強調された文化だろうが、蓮の花の上に黙って座し、何か大きな力に突き動かされていると感じるのが私たちの東洋文化なのだ。

そういった感覚を大切にしなければ、私はきっとクライアントを理解できない。

つまり私自身が、西洋かぶれな人間だからだ。

そういえば昨日の講座では、土星のノーアスペクトの話題で盛り上がった。

父親不在の例で、「ふしぎな島のフローネ」という懐かしのアニメ(生徒さんと「古い!」と大爆笑)のエピソードを出したのだった。

そのエピソードっていうのは、ある夜、フローネのお父さん&お兄さんが家を空け、残されたお母さんとフローネ&弟がビクビクしながら夜を過ごすというもの。

お母さんが子供たちを守るため銃を手に、果敢に猛獣と戦うのだけれど、みんなお父さんが帰宅するとすがって泣くんだよね。

たった一晩の出来事なのに、父の不在はそれくらい家族に不安を与える。

けれど、それは無人島でのお話。

現代社会では、父親はそのようなサバイバルな力を披露する活躍のチャンスは少ない。

また日本では、それほどの強さを求められてもいない。

それが母親問題の強い構造になっていたとしても、それがいつだって難しいわけではない。

穏やかな解決方法は、いつだって存在する。

問題なのは、文化的な背景は変わらないのに、複雑な時代のスタイルや目的が私たちを遠くに連れ去ってしまったということだ。

私たちの幸せは、どこにあるのだろう。

せめてリーダーと呼ばれる人たちには、未来へと大志を抱き、日本人としての誇りを持ってもらいたいと願う。

明日から、2つの新しい講座が始まります。

Hさん、ホロスコープの持ち主の実像が浮かび上がるような学習を一緒にしていきましょう!

よろしくお願いします。