心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

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失われた時を求めて――北半球強調の憂鬱

北半球の強調を考える時、いつも思い出されるのは小説「失われた時を求めて」の作者マルセル・プルーストのチャートだ。

逆行の土星以外、残りの天体は見事に北半球に沈んでいる。

特に際立っているのが、4ハウス蟹座の太陽、水星、木星天王星のステリウム。

失われた時を求めて」は、彼の驚異的な記憶力をもとに書かれた自伝的小説だ。

口にしたマドレーヌの味をきっかけに、子供の頃、夏の休暇を過ごしたコンブレーの街の記憶を鮮やかに思い出すという「無意志的記憶」を契機に展開していく。

第7編にも渡る長編小説の隅々に、彼の記憶が織り込まれている。

マドレーヌのシーン、記憶している人はいるだろうか?

紅茶にマドレーヌを浸した香りに導かれ、幼少期の記憶をよみがえらせるというもの。

この記憶へのこだわり、それこそ北半球の特徴だ。

失われた時を求めて…なんと北半球を説明するのに言い得て妙なフレーズなのだろう。

ティルは北半球の強調を「初期の家庭環境における未解決の問題」を問う必要があると言っている。

未解決の問題とは、つまり何かしらの拭い去れない過去の記憶に縛られているということ。

加えて書くなら、北半球の強調は、ASCから始まる個人の成長段階に多くのエネルギーが注がれていると考えられる。

家族内での問題に巻き込まれたり、深い内面を揺さぶられるような体験を重ねたりといった物語がイメージできるだろう。

成長してからも幼少期の問題を抱え続け、私生活にエネルギーを注ぎすぎるため、社会に進出することにブレーキがかかったり、目標や野心を持つことが難しかったりすることもある。

幼少期の問題は人それぞれ。

北半球は、その特徴にバリエーションが多いのが特徴だ。

基本的に、親や兄弟との確執が考えられる。

虐待などの悲惨な例も多い。

身体的な問題から、成長が遅れるケースもある。

プルーストには、どんな問題があったのだろう。

彼の母親はユダヤ人であるが、彼は自分にユダヤ人の血が流れていることを決して認めなかったという。

こういったルーツの問題も北半球の特徴だ。

マイケル・ジャクソンの北半球強調にも似たような問題が示されている。

これは、かなり根深いものではないか?

今まで南半球、東半球とそれぞれの半球の強調を見てきたが、おそらくコンサルテーションの難しさは北半球がピカイチだ。

なぜなら、彼らは自分のことは「すべてわかっている」からだ。

だから、こちらのアドバイスなど、本当はあまり必要ない。

とりあえず、人に言われなくても大抵のことはわかっている。

自分の良さも悪さも、すべて一応は理解している。

でも「わかっている」と「できる」は違う。

過去を理解していても、未来の自分をイメージできない。

それが、彼らの難しさだ。

しかし視点を変えてみれば、彼らはMC=社会的基準など関係なく、自分の世界観を持つことができる人種だとも言える。

彼らには、自己の価値観=2ハウス、自己の考え方=3ハウス、自己の表現のスタイル=5ハウスがあり、何があっても揺るがない自己の基盤=4ハウスがある。

にもかかわらず、彼らが憂鬱を抱えているように見えるのはなぜか?

なぜ彼らはMCから遠く離れ、北半球に停滞し、自分を持て余し続けているのか?

先日、北半球の強調の人からこんな言葉を聞いた。

「自分の作品が評価を受けることにプレッシャーを感じるんです。注目されると怖くなる。褒められて育ってこなかったから、ちやほやされるとバカにされているような気がして…」

「だから、私なんて放っておいてくれればいい。でも大切な人にだけは私の能力や価値を認めてほしい」

彼らが求めているのは、MC=成功ではない。

彼らが求めているのは、たったひとりでもいい、真の理解者だ。

IC=心の安心を与えてくる、親の代わりになるような偉大な理解者なのだ。

そこでパートナーや恋人、友人に「本当の私」を理解してくれるよう求め、結果、その強いエネルギーで相手を押しつぶしてしまったりもする。

彼らは、人との心のつながりを重要視しすぎるのだ。

また、その逆もある。

彼らの両親の影響なのだろうか、深層心理の中に「人とやっていくことは無理がある」という厭世的な感情を持つことも多い。

そして、あえて人を避ける生活を送る。

けれど彼らは、いつか気付くだろう。

失われた時を求めても、それを補ってくれる「心の拠り所」となる相手などいない。

また、そんな経験もない。

それは未来に向かって、自分の力で作り上げていくしかない。

所詮、過去は美しいだけ、または悲しいだけの作りものなのだ。

カウンセリングの目標としては、まず物理的にも精神的にも、幼少期の体験から距離を置くことをすすめる。

また、その独特の世界観を活かし、社会での活躍や地位の向上を目指すよう促すことが重要だ。

社会の中で揉まれれば、自分がどれだけ恵まれていて、また弱く、未熟な人間であったかがわかる。

人にはそれぞれの事情があり、多くの人の思惑で成り立っていて、グレーであいまいなものだが、それが世界だということもわかる。

「自分」のことではなく「社会」の成り立ちがわかれば、彼らはもっと強く、優しくなれる。

ちなみにプルーストは、両親が死ぬまで、彼らの家を出ることはなく、また働きに出ることもなかった。

彼の人生は、彼の記憶の中に、そして小説の世界にあった。

マイケルもネバーランド的安心にこだわった挙句、あのような裁判沙汰にまで行きついた。

それでも彼らは、偉大なことを成し遂げる力があった。

MC=世間体などはどうでもいい。

北半球強調の人には、せめて、その恵まれた能力を外に向かって発揮することをすすめたい。

きっといつか、彼らは自分の生きるべき道にたどり着けることだろう。

潜伏している暇などないのだ。