忙しくてヘロヘロになっている。
まずい…
ブログ、サボり癖がつきそう。
ということで、今日は思考力がゼロなので、ちょっとプライベートのことを書くことにする。
実は私、こんな年の瀬に引っ越しをもくろんでいる。
あの例の月蝕に刺激を受け、ほとんど思いつきで決断した。
いつものことなんだけど、我ながら愚かだったと気付いた時には後の祭り。
こうなったら動くしかないよね。
正式に決まったら、また連絡します。
そんなこんなを話していたら、気学をやっている生徒さんが方位とか時期とか見てくれた。
そうだよね。
私たち占い師だったね。
そういうの見たりするもんだよね。
彼女の診断によると、私が決めた方角&時期は可もなく不可もなく。
でも何か特殊な配置になっていたらしく、意味としては自分に変える時期ということらしい。
「まあ、nico先生らしくていいんじゃないんですか?」と言ってくれた。
そして彼女いわく、「今は一番底の時期ですけど、こういう時は人からの援助を受けやすいかもしれないですよ」とのこと。
そうね。
捨てる神あれば拾う神あり。
応援してくれている方々、本当にありがとうございます。
いろいろ心配させてすみません。
結局、運気って何がいいんだかわからない。
良い時ばかりは続かない。
自分が強ければ相手が弱るし、自分が弱れば相手が強くなる。
宇宙のエネルギーの関係性は、実は絶妙に配置されているものだ。
一人勝ちしても楽しくないし、意地を張ってもつまらない。
決断することは難しいけれど、決断の背後には様々な動きがあるのは確かだ。
自然な流れの中で、自分の出した決断に後悔しない生き方をこれからの未来でしていくしかない。
自分がその時出した決断は、今の自分にふさわしい決断だ。
それは、何においても譲れない力だ。
たとえそれが宇宙の意思だとしても。
私の好きな禅の作品に
「南無地獄大菩薩」という言葉がある。
これは白隠が亡くなる84歳で書いた絶筆に近い作品だ。
「地獄や煉獄といった世界は、私たちが持つ死後の恐怖であり、そこに堕ちることへの不安にさいなまれるものである。白隠も、幼いときに教えられた地獄の凄まじい様相に脅え、地獄から逃れたいという一念で信仰の道に入った。ところが、地獄や極楽といったものは、人間が不安や恐怖心からつくり出した妄想であると自覚するようになる。自分の心の迷いや邪心、満たされない思いから生れるのが不安であり、その不安から勝手に妄想を築き上げて、それに縛られている。このことを自知した白隠は、地獄こそ仏教の悟りの世界に導いてくれたとして、「南無地獄大菩薩」を唱えて、感謝したのである」
松原泰道師は、この句の説明でこう言っている。
「私たちが人生の極限に達した時、自分自身を救うものは、絶対的認識を自分の中に開発する意外に道はない。なぜなら、自分を救うものは、自分の自覚以外にないのだから…」
不安定な時代と言われるけれど、こんな時こそ、自分を信じる必要がある。
その力が結束し、強い地盤が出来上がる。
多くの人を犠牲にした2011年。
自分自身を立て直し、再度、時代をサバイバルする力を手に入れようじゃないか。