心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

顔で笑って、心で泣いて もうひとつの理想主義

仕事がキャンセルになったので、久しぶりにベランダの植木いじりをした。

季節を感じながら植物に触れることは、私の数少ない趣味のひとつ。

今夜は7時半から家庭の医学。

体調を壊して来られない人もちらほら。

私はのんびりする時間が持てたから、元気にお出迎えできそうだ。

きのうのコンサルテーションでは、久しぶりに深く感情移入してしまった。

あまり入り込みすぎると、やはり冷静な判断ができない。

けれど時々、相手の心に深く引き込まれてしまうことがあるのだ。

自分とよく似た過去を持っていた時などは特に。

月の状態と他の天体群のトーンがあまりに違う場合、個人はふたつの分裂した人格を抱え込む。

例えば、月が土星と難しい角度を組み、金星や水星は木星天王星と温和な角度を形成しているような場合、外向きの明るさの裏に、自分でも持て余すほどの悲しみや劣等感を抱え込んでいることが多い。

一見、とても明るく、明るすぎるくらい明るく、人生もそれなりに発展的だったりする。

だから人は、よほど親しくならなければ、彼女の涙を見ることはない。

では、その繊細な感受性は、どのように処理されているのだろか。

明るく振る舞った反動から、ひとりになった時、より深く落ち込む。

自己嫌悪、虚しさ、孤独感、様々な暗い感情に触れることになる。

でも明日になれば、また明るい顔が戻ってくる。

まるでオンオフのスイッチがあるかのように、その変化は簡単だ。

ジョークを言い、ピエロのように能天気に振る舞う。

楽しい人を演出する事なんて簡単だ。

なぜなら長い間、それが自分のペルソナとなっているのだから。

私は、そのペルソナを手放すことを無理に勧めることはしない。

それが生き残る上での大切な防衛になっているのなら、その変化は緩やかなほうがいい。

けれど、そのままでは自己の統合は遠のく。

ペルソナの維持に無駄なエネルギーを注ぎ、いつまでたっても大切な活動や、未来の可能性まで手を伸ばせない。

他者なんかどうでもいい。

人はどうせ、一過性の印象しか持たない。

他人に何を言われようが、勝手に言わせておけばいい。

けれど自分はどうだ?

自分の心は、NO!を突き付けてはいないだろうか?

傷づきやすく、小心者である自分を受け入れるように、いつまでも囁き続ける。

だから、せめて自分だけは、その心をケアしなくてはいけない。

きのうも書いたが、自分をケアするには2ハウス関連を安定させる必要があるが、私はいつも自分の資源を大切にするよう促す。

特に身体と時間を大切にすることが重要だ。

有限の資源を自分のために利用すること。

決して、ここは人に犯されてはならない。

そこが安定すれば、ゆっくりと防衛を手放し、人との友好的な関係を築くことができる。

まずは自分。

今はちょうど牡牛座の木星だから、やりやすいかもしれないよ。

先程、月のトーンと言ったけれど、もうひとつ、私は太陽と金星のトーンの違いもこういう傾向を生むと考えている。

もちろん、月の状態も考慮に入れた上でだが。

太陽の状態が不安定で金星が難しいアスペクトを持っている場合、自我の弱さを隠そうと別の人格を形成する可能性がある。

つまり、太陽が心理的に難しく働くと、明るさの陰に、横柄さ頑固さ、極端な自我増大を隠し持つ。

女性であったら、まず金星の感性をそのまま受け止めることが大切だ。

くれぐれも自分の中の女性性を恐れず、そして否定せず受け止める。

言うは易し。

でも顔で笑う力があるなら、自分を乗り越える力も持っているはずだ。

顔で笑って、心で泣くという行為は、本当は自分のためにやってるわけでもなかったりする。

人に対するサービス精神や思いやりから出ていることも多いのだ。

何も、いつだって自分を大きく見せようとしてるわけではない。

慰めではなく、私は本気でそう信じている。

まずは、自分の限りある資源を大切にしましょう。