心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

6月の台風、新月、夏至、小沢の乱、それでも人生は続いていく…

生きていれば、嫌でも時代の容赦ない潮流を感じる。

今日の講座でも、ブースに出ている生徒さんとそんな話をした。

「生きていくため、とにかく働きたいんです。仕事は見つかりますか?」

現場で鑑定をしていると、そんな切実な声を聞くこともある。

政治は出口の見えない議論をしている。

仕事はない。

うつや自殺者は増加し続ける。

尖閣諸島赤字国債、欧州債務危機、問題は山積みだが解決の糸口も見えない。

占星術的に見れば、何が、どこが、難しさの焦点になっているのかが見える。

金環食のイベントでも話したけれど、11ハウス=政党が大揺れになるのはわかっていた。

きのうのふたござの新月図、今日の夏至図を見ても、やはりそう。

けれど、現場の切実な叫びの行く先は、そう簡単ではない。

今日、職業占星術を教えながら、何か虚しさを感じた。

この時代、必要なのは適職ではなく、生きていくための仕事なのだ。

こんな悠長なアプローチで、クライアントのニーズを満たすことはできるのだろうか。

フランスの作家マルグリット・デュラスは、ベストセラー小説「L'AMANT」の中で、サイゴンでの貧しい暮らしを描写しつつ、

「わたしたちはお腹をすかせなかった、白人の子供だったからだ、恥ずかしいこともよくあった、家具も売った、でもお腹はすかせなかった、ひどい食べ物でもとにかく下僕が料理して支給してくれる、ときどきはいやだと言うこともあった、食べたくないという贅沢が、わたしたちにはできたのだ」

と書いた。

それをこのブログを書きながら思い出した。

そう。

私たちの世代は、「満員電車に乗りたくない」という理由で会社員にならない生活を選択できた。

「この仕事はわたしには向いていない」と仕事を辞める贅沢が、わたしたちにはできた。

今は、そんな贅沢は言えない。

そういう若者が数多くいる。

もっと、時代のニーズに合わせた鑑定をしていかなければならないのかもしれない。

その感覚を私は持てるだろうか。

さすがに「今の若者は覇気がない」と言い捨てる占星術師はいないだろうけど、それぞれの世代の感性を真に理解するのは難しいことではある。

そこも含めた感覚を育てるのも、占星術師の仕事のひとつなのだろう。

ところで…「家庭の医学」に参加してくれたみなさん!

お疲れさまでした。

双子座の新月に合わせたかのように、きのうは「肺」がテーマだったね。

肺に難しさがあれば、大腸にも影響が出る。

占星術の象徴の話かと思ったほど、象徴っていうのはうまくできてる。

水分には要注意らしいよ。

次回は、血、湿と病気の関係の話をしてくれる予定。

そういえば、講義終了後、サプライズ?で石塚氏の誕生会(なんとこの日が誕生日!)をやった。

石塚氏は、素晴らしいボサノバギターを披露してくれたね。

聴き逃したみなさん。

ご心配なく。

彼は、今年の抱負で音楽にも力を入れていくと言っていたよ。

私もいつまでたっても上達しないギターと歌を披露。

その後、石塚氏のギター伴奏のもと、みんなで歌える歌を何曲かやった。

こういった占星術から離れた遊びも、たまにはいいね。

5ハウスの回復、または太陽の活性化にもなるしね。

ということで、来月の家庭の医学の日も、当日誕生日の方が2人いるらしい。

何か楽しい企画を考えているのでお楽しみに!