心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

象徴を限定することの問題点

毎日、多くの方のコンサルテーションをさせてもらっている。

みなさん、大切な人生の体験をシェアしてくれて本当にありがとうございます。

「心理占星術ってどういうものなのか」という興味もあって申し込んでくれた方も多く、私も日々、心理占星術の面白さを伝えられるよう奮闘している。

もしよかったらICレコーダーを持って来てください。

後になって聞いたら、もしかしたら受けたときとは違う印象を持つこともあるかもしれません。

しかし今日は、改めて占いというものについて考えさせられた日となった。

ある方に、「心理占星術って、やっぱり厳しいですね。通常の占いだったら、アスペクト=人のせいにできるけど、心理占星術は、それもすべて自分の責任として引き受けていかなければならないんですね」と言われたのが印象的だった。

占星術の学習者の落とし穴とも言える、「人生のむずかしさをホロスコープのせいにしかねない」という観点。

「私は火のエレメントがないから行動を起こせない」とか「木星がハードアスペクトだから飽きっぽいんです」とか、講座でも、そのような解釈をする生徒さんが多かったりする。

以前、鑑定の現場で火星の問題を持っている占い師の方が、火星が難しく働いているクライアントさんに対し、「どこに行っても人に攻撃されたり、目立ってしまって叩かれたりするでしょう?」と同情的なセッションをしたというのを聞き、「これではお互い火星を克服できないだろうな」と心配になったのを思い出す。

人を鑑定する立場にあるなら、問題を少しでも自分自身のものとして引き受ける勇気を持とう。

自分自身に言い聞かせるように、このブログでもよくそのように言っている。

もし解決の糸口を見つけられないなら、安易に問題に触れるべきではないのかもしれない。

「目立ってしまって叩かれたりする」という問題が見えたなら、それはなぜなのか、それをどう克服していくべきなのか、それを提示する必要があるだろう。

問題を誰かのせいにしたまま、結局、恐れながら人生を生きていくことになるなら、いっそのこと問題になど触れないほうがいいのではないだろうか。

それが、私が「当たる占い」を避ける理由でもある。

当てたところで、それがどうした?ってことになるからだ。

だから私は、ある天体のアスペクトの象徴を「○○問題」と解釈することを避けるべきかもしれないと考えるようになった。

ある人は、以前の鑑定で言われたアスペクトの解釈に縛られて、「自分がうまくいかないのは、このアスペクトのせいだ」とすっかり思い込んでいた。

これでは本末転倒だ。

以前もブログに書いたが、天体が人生をそう仕向けているのではなく、アドラーの言う「人間は意味の領域に生きている」という言葉を思い出せば、天体の意味づけを変えれば、体験それ自体の意味も変わり、そして行動も変えられると考えてもいいだろう。

わざわざ、天体のネガティブな側面だけをすくい取って生きていく必要などどこにもない。

ホロスコープを丸ごと変えることはできないけれど、天体の良い働きを考えて、そのエネルギーの利用法をアドバイスすることはできる。

「○○があるから、私は仕事がうまくいかない」とチャートの難しさを言い訳にしないよう、発展的なアスペクトの利用方法を代替案として提示していくことを心がけたい。

占星術家自身が天体の意味を限定してはならない。

その点は、はっきりさせておく必要がある。

その時、カウンセリングでよく使う、「あなたは、それについてどのように感じていますか?」といった開いた質問が大切になってくる。

クライアント本人からしか、その天体の意味づけを知ることはできない。

そういったやり取りがあってこそ、個々人のホロスコープの働きを知ることができるだろう。

私自身が今、コンサルテーションを通して勉強されてもらっている段階だ。

良いアプローチ方法を組み立てられたら、みなさんにも伝えていきたいと思っている。