先日、打ち合わせの後、久しぶりに石塚氏と昨今の心理占星術の動向について話をした。
認知は進んだけれど、実際、現場で使うレベルまで引き上げていくには、まだまだ時間がかかるだろうというのが石塚氏の見解だった。
心理学と占星術の相性の良さは、心理学を本格的に勉強していない人にも納得できるはずだ。
性格分析や発達過程、両親との関係性などは、占星術を学び始めれば、その象徴がどこから来ているのかがすぐにでも理解できるようになる。
サインや天体の発達年齢域、太陽と月の関係などがそれにあたる。
それを現象面だけをすくって読み進めれば、「あなたに○○の傾向があります。お父さんは○○な人ですね。○才の時に、こんなことがありませんでしたか。あなたの職業は○○が向いています」といったような、従来の占星術の一方的な「当てる占い」になる。
では、心理占星術を学習した人たちはどうかというと、やはり、同じようなスタイルでホロスコープを読み進めていく人が多いだろう。
心理学を学習し、それを実践している人たちですらそうだ(私も同様に)。
それほどまでに占星術の象徴の誘惑は強く、そしてお客さんの「当ててほしい」というニーズも強い。
もちろん、これは私の考える心理占星術が目指す方向性ではない。
心理占星術の目指すところは、こちら側が何かの枠に当てはめることでもないし、劇的な変化を起こすことでもない。
ゲシュタルト・セラピーの言うところの「セラピストは、変容させる人の役割を否定する。クライアントが「ここにいること」「自分自身であること」を奨励する」ということだ。
またアドラーは、「クライアントのニーズに応じてカウンセリングすることはない」と言う。
社会の中で幸福になるために、幸福になるための考え方とやり方を学ぶことを目標とするということだ。
心理学の目指すとことは、個人の全体化、統一化である。
バラバラに、またはちぐはぐに働いているように感じている個人の断片的なシステムを統合させ、ひとつの完全な個人を意識することだ。
それには、ホロスコープは大変な武器になる。
個人全体が「そこにある」からだ。
だからこそ、チャートを部品で読むと個人が見えなくなってしまう。
アドラーの目的論的に考えると、人は常にクリエイティブな存在であるから、どれほど愚かに見える行為であったとしても、自分の全体を使って私的目的を達成しようとするものなのだ。
多くの問題は、「~のせい」という原因ではない。
あらゆる行為は、個人全体の目的からなっている。
金星が何座にあろうが、10ハウスが強調されていようが、個人全体の目指すべき方向を考えるには、ホロスコープ全体の働きを考えていくことが重要になるだろう。
従来のチャート読みになれてしまうと、ホロスコープ全体を読むというのは難しいかもしれない。
ノエル・ティルは、それを見事に技法化したなと、つくづく感心する。
私の実践読みは、アスペクトを無視、またはホールサインとして大きな影響を見ることもあるし、サインではなく、その支配性のディスポジターを追いかけ、チャート全体の働きを考えることもあるし、チャート全体がエレメントの補完によって働いている様子を見ることもある。
人は、ホロスコープに示された「このアスペクトが私の人生を不幸にしている」というように部品によって支配されているわけではないということだ。
いろいろな読み方があるかもしれないから、自分なりに、ホロスコープ全体が自分を目的に向かって動かしている様子を感じてみるといいかもしれないね。
「このスクエアが私の人生の足かせになっている!!」と考える前にね。