心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

未来を予言するということ

カイロンにご参加のみなさま。

お疲れさまでした!

最後は、和気あいあいとした雰囲気の中、講座を終えることができました。

次回からは、応用編です。

心理占星術は実践読みに、来日のための準備講座は適職占星術へと入ります。

ホロスコープは多重構造であることを忘れないよう、基礎講座のテキストでお配りしたホロスコープの構造の図を見直してみてください。

そうすれば、ハウスのネットワークの様子が頭に入ると思います。

来月、また新たな気持ちでお会いできるのを楽しみにしています!

で、未来を予言するということ。

アドラーは、自ら築き上げた個人心理学について、「二重の意味で預言的である。何が起こるかを予言するだけではなく、それが起こることのないよう予言もするからである」と説明した。

ただ未来を予測するだけの予言=predictに対し、預言=prophecyは、神の言葉を預かるという宗教的行為のひとつである。

マックス・ウェーバーは、預言を倫理預言ethische Prophetieと模範預言exemplarische Prophetieとの二つの型に分けている。

「倫理預言」は、古代イスラエル預言者に代表されるように、超越的な神の命を受けて、それを人々に伝える道具として自己を自覚した場合であり、他方「模範預言」は、釈迦(しゃか)で代表されるように、自己を救済の模範として示すものである。

いずれにせよ、アドラーは預言的態度として、旧約聖書のヨナ書(ヨナはヘブライ預言者)を引き合いに出した。

ヨナがニネヴェ(アッシリアの首都)の滅亡の預言をしたところ、人々が悔い改めたので、神は災いを下すことを思いとどまった。

ヨナは預言が成就しなかったことで機嫌を悪くし、神に怒りを覚えたが、神は逆に、ヨナのこころの狭さを諭したという話である。

ある個人の態度パターンが繰り返されているのが確認できれば、未来がどちらの方向に向かっているのか予測するのはそう難しくないかもしれない。

恐らく本人だって、その未来を暗に予測することもできるだろう。

「このままいくと、私たちの関係は悪い方向に行くかもしれない」「今の仕事のやり方では、あと1年後に破産するかもしれない」と、クライアント本人の口から未来の可能性を示唆されることもある。

それを「起こることのないよう予言する」のが、アドラーの目的であった。

未来は、現在の態度の積み重ねによっていかようにも変わる。

しかし、過去からのパターン(アドラーの言うライフスタイル)を変えるのは非常に難しい。

だからこそ、宗教的な「預言の力」が有効に働くのかもしれない。

占いについて、「悪いことを言われると落ち込むから嫌だ」という声を聞くことがままある。

誰だってそうだ。

だからこそ、同時に「起こることのないよう予言する」方法を考えていくことが、そのようなスキルを手にした者の役割であろうと私は思う。

先日、「当てる占い」について批判的な文章を書いたことに意見をいただいたが、つまり、当てることを目的とするのではなく、当たらないよう話し合っていくことを目的とするのが、私の考える心理占星術だということだ。

未来を予言するには勇気が必要だ。

悪い予言は特にそうだ。

ニネヴェの人々のように、未来は変えることができると信じ、自分の人生を見つめ直すきっかけになるなら、予言の力を利用することに価値はあるのかもしれない。

予言が当たらないことを信じて…