心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

続 土星・海王星 鎮魂の歌 夏至、木星・蟹座を前に思うこと

2011年11月にこんなブログを書いた。

 

鎮魂の歌

 

土星海王星の組み合わせは、なかなか難しい。

土星がなんとか安定した現実を築こうとすると、海王星はそれをいとも簡単に崩していく。

「頑張っていることが報われないような気がする」と、土星海王星アスペクトを持つ生徒さんは嘆く。

 

前回のブログにも書いたが、土星海王星アスペクトは、ユダヤキリスト教の創造観でもある人間中心主義――産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ――をあざ笑うかのような出来事が起こることを象徴しているように思われる。

大きな犠牲を与え、人々に無力さや畏怖の念を呼び覚ますよう促すエネルギーだということだ。

特に土星海王星トラインが3度も形成された1929年は、世界恐慌の引き金となったブラック・チューズデー、株価大暴落が起こっている。

そして、前回の2001年のトライン時のアメリカ同時多発テロ事件は記憶に新しい。

その他、自然災害もそうだ。

 

けれど、人間は同じ過ちを繰り返し続ける。

「景気が良くなれば人は幸福になる」と考え、消費を促すことで経済を活性化させることができると洗脳する政府の政策と、それに懲りずに再び踊るバブル崩壊を担った人々たち。

まるでデジャブのようだね。

 

それでは、9ハウスが強調されている今回の東京の夏至チャートを、私たちはどのように捉えるべきなのだろうか。

9ハウスは、私たちが暮らしている社会が提示する社会的報酬、社会的良心の部屋である。

では、政府が提唱する消費社会を、このまま社会の良心として受け止めていくべきなのだろうか。

 

フランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュは、「経済成長」という信仰の呪縛から逃れ〈脱成長(デクロワサンス)」へと価値転換を起こさなければ人類に未来はない――つまり「消費を常に増大させることを前提とするようなこの狂気じみたシナリオを放棄しなければならない」と説く。

私たちは過剰消費のためにあくせくと働き、精神的に疲れ切っている。

これが私たちの社会が生み出してきた木星的ストレスであることに、いい加減気づいてもいい頃かもしれない。

 

〈脱成長〉を達成するにはどうしたらいいのか?

この問いに対しラトゥーシュは、次のように答える。

「過剰広告に振り回されない」

「要らないものを売らない買わない」

「遠くに旅行するのはやめる(ツーリズム批判)」

「近くで取れたものを食べる(産直運動)」

「小さな集団にまとまってそのなかで完結して暮らす(再ローカリゼーション)」

「簡素な生活をする(エコロジカルフットプリントの削減)」

 

しかし、日本は生産主義的経済を主としているわけだから、そう簡単にはいかない話ではある。

せめて、少なくとも経済的発展だけが社会的報酬ではないということを考えていく必要がある。

 

26日、木星が蟹座入りし、水のグランドトラインを形成する。

社会的報酬=木星は、ラトゥーシュの考える「小さな集団にまとまってそのなかで完結して暮らす(再ローカリゼーション)」へとシフトチェンジしていく動きを促すことができるだろうか。

 

けれど、ここで忘れてはならないのは、グランドトラインはそのエレメントに閉じた回路を与えるということだ。

水のグランドトラインは、風のエレメントが様々なものに反応し、比較検討し、あらゆる立場を理解するという、散り散りにした知識体験を再びつなぎ合わせ、結びつけ、記憶へと定着させていく働きを持つ。

命を育み、所属し、価値あるものを守り、その記憶を後世につなぐ。

 

けれど、それが閉じた回路となった場合、つまり水エレメントのネガティブな側面――未知なるもの、違う性質のものに対する恐れや不安――が強調された場合、純粋培養的なよそ者排除の行動へと駆り立てられることもあるだろう。

昨今のヘイトスピーチに見られる人種主義的な排斥傾向などもそのひとつかもしれない。

私たちの美しい湖に、外来魚なんて放たれたら敵わないというような…

 

水は、流れが停滞すると腐る。

腐れば、そこから病気が生まれる。

先日の医療占星術でもそんな話になった。

そのため、風エレメントの対象から自己を切り離し、動きを活発にし、理解、判断する力が補完となる。

それにより、酸素、血液、リンパ液などの循環させ、毒素を排出するという流れが生まれるということだ。

 

私たちは、このグランドトラインをどのように活かすことができるだろうか。