Eさん、Mさん、昨日の勉強会は楽しかったですね。
「病気を心理占星術アプローチで考えていく」というのをやりましたが、おふたりの学習の進歩を目の当たりにすることができ、こころから感動しました。
勉強会とは、私の心理占星術コースを卒業した生徒さんたちが任意で勉強を続けていく会のこと。
ホロスコープ実践読み、ホラリー、医療占星術、レクティファイ、マンデン、職業占星術等をランダムに勉強していき、占星術の学習をさらに深めていく。
みなさん、会うごとに自分なりに学習を深めて参加してくれている。
私も刺激になることが多い。
昨日は、まずMさんから、ネイタルチャートでトランスサタニアンが強調されていない(個人天体とアクセスしていない)場合、トランジットでトランスサタニアンがかかるとどういう感じになりますか?という質問をもらった。
心理占星術では、トランスサタニアンを「多くの人たちのこころの働き」の集合体と解釈するので、トランスサタニアンが強調していないということは、人生を通じて、「多くの人たちのこころの働き」を深く体験する機会(機会=アスペクト)がなかったであろうと考えられる。
人生の体験が土星までの世界―――現実的、実際的、物質的体験―――で築かれているので、人の想いや考え、反応に振り回されることなく生きることができたということだ。
そういう人物がトランスサタニアンのトランジットを体験するとき、大抵の場合、「周囲の人は大騒ぎしていたけど、私には関係ないかったのでよく覚えていない」といったような反応を示す。
良くも悪くも、他者の視点、他者のこころに入り込む体験をしなければ、トランスサタニアンをやった、という実感は得られない。
またEさんからは、うれしい報告をしてもらった。
心理占星術で鑑定をしたところ、家族間の問題をうまく対処できたということだ。
今までの占星術では気づかなかった視点でチャートを読むことができ、その結果、鑑定の信頼感が高まったという。
うれしいですね!
Eさんの信頼感のあるパーソナリティゆえの結果だと思うけど、それでも、こういった報告をうけるのは幸せなことだ。
心理占星術は、いまだきちんと認知されていないと感じるが、Eさんのような人が現場でよい鑑定をしてくれれば、少しずつ評価もついてくると信じている。
ありがとうございます。
そして昨日、Mさんからこんなメールをもらった。
私が心理占星術を通して伝えたいことを上手に汲み取ってくれたことがうれしくて、つい涙してしまった。
Mさん、いつもいつも、たくさんの質問、疑問を投げかけてくれて本当にありがとうございます。
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最近になってやっと、心理占星術のエッセンスの最初の一滴を味わえたような気がするんですよ。
心理占星術には、誰のせいにも何のせいにもさせてくれない厳しさがあって、勉強の途中では、これまで都合の悪いことを人のせいにして、そうやって自分自身を騙して生きてきたツケを払わされているような気持ちになったりもしました。
でも、nico先生が教えてくださる心理占星術のベースには、個人への揺るぎない信頼があるんですね。
そういう痛い気付きから逃げずに、自分の中の見たくない部分にも責任を持つことのできる存在であって、その勇気や能力を、他者や社会のためにも生かすことのできる存在だと信じているからこそときには痛いものを見せられたりもするんだな~ということがわかって、ちょっと感動しました。
占星術師がクライアントの未来を信じることが大事だって、職業シンポジウムで先生がおっしゃっていましたが、その姿勢は、クライアント自身が自分の未来を信じるときの拠りどころになったりすることもあるのでしょうね。
今までそんなことにも気づかずに勉強していたのか…って感じなんですけど。
もちろんまだまだ勉強の途上ですが、この感動はずっと覚えていたいなと思っています。
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心理占星術は、個人のこころの暗い側面にスポットを当てるものではなく、個人の明るい未来の可能性を信じ、サポートするためのツールだ。
個人が自分の人生の責任を自分で引き受けるということは、一見、厳しいことではあるけれど、真の意味での個性化、自由(太陽ー天王星の象徴だね)を獲得できるということでもある。
それを私は信じているし、クライアントさんにも信じてほしいと思う。
時間がかかるかもしれないが、着地点をそこに見据えておけば、いつかそこに向かう勇気を持つことができるはずだ。
私の理想主義は、それを信じている。