心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

蟹座・木星 記憶をめぐる冒険

先日、土星のことを書いたから、今日は蟹座・木星の話。

毎日、とても充実したコンサルテーションをさせてもらっている。

私がコンサルテーションをしているのか、それともしてもらっているのかわからなくなるほど、毎回、皆さんのこころに触れ、癒されている。

コンサルテーションというのは不思議なものだ。

時々、自分の記憶なのか、それとも相手の記憶なのかがわからなくなるほど、深く相手に入り込むことがある。

今日のコンサルテーションもそうだった。

私が生きてるはずのない記憶を、ありありと感じることができる。

それくらい、とても強い印象を受けたコンサルテーションだった。

そんな時、蟹座の木星がイグザルテーションであることを理解する。

イグザルテーションを高揚と訳すこともあるが、まさにそういった高まりがそこにはある。

私のコンサルテーションを受けてくれた人が感じているかはわからないが、こころが触れる瞬間があり、その時、こころがざわざわと高揚するのだ。

今回のコンサルテーションの件で、皆さんに謝らなくてはいけないことがひとつあって、それは「来年のスケジューリングやります!」とか言っておいて、いざ始めてみると、未来向きのコンサルテーションというよりは、「本性に帰る」みたいな話しばかりしていることに気がついた。

記憶をめぐる話しもたくさん聞かせてもらった。

木星には、様々な意味があるが、私は木星には2つの要素があると考えている。

ひとつは、社会天体という側面の木星

そしてもうひとつは、火のエレメントとしての側面の木星だ。

木星に関しては言いたいことが山ほどあって、いつも講座で木星について熱く語っているので、細々した話しはここではしないけど(そういえば、今年の6月には木星蟹座入りのイベントもやったなあ)、今年のコンサルテーションでは、引っ越し先で初めて所属感覚を得たとか、家族関係が修復されたとか、蟹座・木星に関する話をよく聞いた。

先日、オイリュトミーの大先生のダンスのワークショップに4日連続通った。

ここ数年仕事漬けだった私にとって、間違いなく新しい刺激的な体験になるだろうと思いきや、大先生の語る言葉やワークには、どこか懐かしい、遠い記憶を刺激するような感覚を持った。

知っているけれど忘れている。

細胞がプチプチ音を立てて、その懐かしさを喜んでいる。

昔、昔、まだ私が私でない時代、私の記憶には時を超えた身体感覚があったのだろうという腑に落ちる感じ。

最近、集中的にやってもらっている麻里さんのアートワークにも、そういった懐かしさがある。

クレヨンや絵具や紙粘土の匂いや感触から思い出す、昔々の私。

そういえば、蟹座の麻里さんは、以前、こんなコメントをくれていた。

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記憶していくこと、

生きているとされている、ある期間、様々起きる、エネルギーの交換や移動を

記憶していくこと、

それが、人間の特性で、存在している意味かなと。

すべてのことが、映画を眺めているが如くなんです。

そこで起きていること。

その体験で動いた感情やエネルギーを記憶していくこと。

記憶の中で、記憶同士が化学反応を起こすこともありますね。

沸点を迎えることもありますね。

それを、ただ、記憶していく。

そんな、私個人の考え方です。

きっと、蟹サインの科学的反応ですね。

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まさに蟹座の作家マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」だね。

2014年7月16日まで、もう少し記憶=蟹座をめぐる冒険=木星をしてみようかしら。

自分のだけでなく、多くの人と記憶の共有をしていこうかしら。

皆さんの記憶は私の中に刻まれ、未来に持ち込まれていく。

私の記憶も誰かの記憶の貯水庫にまぎれているかもしれない。

そういえば、木星の“氷衛星”のエウロパに水が噴出しているというニュースがあったね。

象徴って面白い。