心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

「節制」と「曹源の一滴水」

隔週で行っているタロット講座が楽しくて仕方ない。

5年前に作ったテキストを見直し、数字や絵柄などの象徴の意味をさらに広げ、より現場で的確にアドバイスができるようテキストを作り直している。

この作業がとても楽しい。

「今までタロット読みに自信がなかった」という方にも、きっと役に立つ講座になっているだろうと自負している。

面白さのあまり、ひとつのカードに深くはまり込んでしまうことがある。

「節制」のカードもそのひとつだ。

「節制」は、「どのように読んだらいいかわからない」と言われるカードのひとつだが、数字の意味にあれこれ思いをはせているうちに、ふと、「節制」のカードはまさに禅の「曹源の一滴水」だなと、古今東西、考えることは同じなのだなと納得するに至った。

「曹源の一滴水」の「曹源」とは、達磨から禅法を伝承した六代目の祖師「慧能」のことで、二十四流の禅法はすべて「慧能」の一滴を源泉として展開したことから、そのような言葉が生まれたと言われている。

で、松原泰道師によれば、

「曹源の一滴水とは何ぞや――如何なるか、是、曹源の一滴水」

と、問いが答えとなって伝わるというのが人生の真実となるのだろうけど、

つまり、

老師が風呂に入ろうとすると湯が熱かったので、風呂当番の小僧を呼んで、井戸の水を汲ませて運ばせた。

老師が「適温になった」と小僧に伝えたところ、小僧が桶の水をバシャっと捨ててしまった。

それを見た老師は、「一滴の水にも仏の命が宿っている、。一滴の水も草木を育む命となる。だからこそ、一滴の水も無駄にしてはならない」と小僧に厳しく教えた。

という話なのだが、松原泰道師の伝える別のエピソードのほうが私は好き。

中島光蔵は仏像彫刻師になりたいと高村東雲を訪れた。

東雲は何も言わず彼に井戸の水汲みを命じたという。

しかし、彼の姿を見て、東雲は激怒して退去を命じた。

その理由が、「仏像は人から拝まれるものである。拝まれるものを作る人に、拝む心がなくてはだめだ。一杯の水といえども天地のたまものである。しかるに、お前の水汲みを見ていると、こぼれても平気だ。捨てて省みぬ人間に、仏像が彫れると思うか」と言ったという。

「いらない」ものをいらないからといって粗末に扱うのは、自分自身を粗末にするのと同じこと。

どうやって活かすかを考える。

そうやって、活かすことを考えるようになると、自分にとって何が必要で何が必要ないのかを考えるようになる。

これこそ、タロットの「節制」に通じる意味となると、私は考える。

「節制」は、12サイクルで幕を下ろした後の2番目のカード。

つまり、②「女教皇」もしくは、逆サイクルの⑪「正義(マルセイユ版では力)」のカードとなる。

昨日のブログでも書いた、エドガー・ケイシーの言葉、「あなたの手にあるものを、知識として、力として、愛として用いよ」という、2ハウスの繰り返し、「節制」は、その内的世界の見直しを意味する。

もちろん、「節制」の絵柄にもあるように「水をこぼさないように」、つまり、自分の手にしたものを無駄にしないように、さらにそれを洗練させていくということになる。

なるほどね。

キリスト教の四美徳のひとつと、「曹源の一滴水」。

面白い。

さらにその意味を掘り下げていけば、いろいろなことがわかると思うので、それは次回、水曜日、木曜日に説明します。

次回の講座は、「運命の輪」から「節制」まで。

楽しくお勉強しましょう!