心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

私の中に法則を見つけると、世界はとても美しい

大阪のSさんとのやり取りの中でグレン・フライのことが話題になったので、懐かしくなり、昨夜久しぶりに「Best of My Love」をギターで弾いた。

この曲は、21歳のドライブのBGMだった。

この曲を聴くといつでも風と恋を思い出す。

Sさんと”好き”を共有し、テンションが上がった。

日曜日のオイリュトミーのワークでは、映画「冒険者たち」の話で大いに盛り上がった。

エンターテイメントの要素がすべてつまった素晴らしいこの映画も、私にとっての青春、私の”好き”があふれていた。

鼻息荒く、映画の魅力を語ったりした。

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これらは、色褪せた思い出というわけではない。

生き生きとした感覚として、今の私を形どっているものなのだ。

”好き”を確認することで、確かな私をここに実感することができる。

確かに、私はここにいる。

タロットカードでいうと、Ⅱ女教皇が大切に膝に抱えるトーラTorah、占星術では、もちろん牡牛座=金星=2ハウスで示されるだろう。

ゆるぎない私の法、ゆるぎない不動の大地。

その法、その感覚に従っていれば、「私」はきっと大丈夫。

刻一刻と変化する時代に、唯一安全地帯があるとしたら、それこそが私に備わった価値観や感覚が作り上げた世界かもしれない。

それは、誰にも奪うことなどできないし、誰にも汚すことができない。

しかし、妥協なき”好き”に出会うのは、そう簡単ではない。

世の中は私を誘惑するもの、人、情報にあふれ、私の法を揺るがし、私を脅かす。

だから、ごくたまに起こる奇跡の出会いに、私はいつも驚いてしまうのだ。

これは、好きなものに出会えた喜びではなく、「私」に出会えた感動だ。

気狂いピエロのラストに引用されたランボーの詩によるとこうだ。

見つけた

何を

永遠を

海と溶け合う太陽を

になる。

前に、ダンサーでオイリュトミストの笠井叡先生がこんなことを言っていた。

「自分は宗教を持たないけれど、この身体を自分の聖書のように感じている」と。

新約聖書iコリントの一説にも、

「身体は神の聖なる神殿である」とある。

身体を生きる人は、自分の身体に法則を持ち、ギフトとして大切に扱う。

乙女座に木星が入る直前、ちょうど獅子座で金星が逆行しているころ、講座の中で何度も繰り返し伝えたことがある。

柔軟サインの強調の時期は、不動の力――周囲に流されない安定した自己を持つことが何よりも重要になってくる。

私の法則、私の揺るぎない世界とは、どのようなものだろう。

教皇の神殿にある、私だけのトーラを見つけに、今こそ、感覚を利用する必要があるのかもしれない。

太陽、火星が不動サインの時期に、計画してみるのはどうだろう。