心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

太陽と月をめぐる冒険 仕掛けられた罠を見つける

集中講座に参加の皆さま、お疲れ様でした。

個性豊かな皆さんとの活発で有意義な時間。

私自身、学ぶというのはこんなに楽しいものなのかと、改めて実感することができました。

心理占星術を心から楽しんでいただき本当にありがとうございました。

今回は、まず「太陽と月の統合を目指すこと」がホロスコープを読む際の重要な鍵になるという話をしました。

それはそうだ。

そんなことは誰でも知っている。

占星術の学習は、まず、何よりも先に太陽と月の重要性を理解することから始まるのは不思議なことではない。

太陽系の中心である恒星としての太陽と、地球の衛星である月(二重惑星と呼ばれるほどに、その存在感は大きい)。

このふたつがジオセントリックチャートにおいて、とりわけ重要なのは当然だ。

太陽や月を持って生まれた性格や資質として読む人もいれば、太陽を目的、月を欲求として読む人もいる。

太陽や月のサインとそのアスペクトで、太陽と月を自己矛盾なく動かすことができるかどうかを判断することもある。

何はともあれ、ホロスコープを読むということは、イコール、太陽と月を理解するということであるということは、占星術を勉強している人なら誰だって知っている。

そして、みんながよくわかっていることがもうひとつある。

太陽と月を生きるって、そんなに簡単なことではないということ。

太陽と月が何サインであろうが、アスペクトがトラインだろうがスクエアだろうが、太陽と月を生きるというのは、わかっているようでわからない、何かつかみどころのないエネルギーだったりするのだ。

つまり、人生とは太陽と月をめぐる冒険の旅なのだ。

発達心理のエリクソンの言葉「アイデンティティは、青年期に始まるわけでも終わるわけでもなく、生涯にわたって続く、意識的、無意識的な成長過程である」や、ユングの「個性化とは、個人に内在する可能性を実現し、その自我を全体性へと志向せしめる努力の過程」とあるように、「私になる」ということは、どうも願っていれば手に入るというわけではなさそうだ。

なぜ、そういうことが起こるのか。

それは、つまりだから、占星術的な視点で考えると、恒星の太陽(こうなりたい私)と衛星の月(こうである私)という、その存在の在り方がまったく違うものを、ひとりの私として統合するのは難しいに決まっているということだ。

私は新月生まれ、太陽も月も同じサインだけれど、ヘンリーミラーの言葉、「分身の一方が、もう一方を裁こうとする」ことなんて、しょっちゅう起こる。

私は、いつだって期待と不安で引き裂かれている。

そして、太陽と月の統合の難しさの理由のひとつに、ハウスという存在がある。

古典に倣って、私はハウスのことを「とらわれた魂」というように説明することがある。

自分本来の姿=サインを、地上の枠組みに閉じ込めてしまうイメージだ。

このハウスの存在こそ、太陽と月をめぐる冒険の最大の罠――高い障壁、足を引っ張る仲間、意地悪な魔女、居心地が良すぎる竜宮城だったりする。

その罠を見つけ、魂を解放すること。

その努力の方向性が、心理占星術におけるホロスコープ分析のテーマになる。

集中講座では、そんな話を冒頭にしました。

昨日、Nさんからメールをいただきましたが、そうですね、そこがホロスコープ解析の面白いところなのですね。

そんなこんなを実際のホロスコープを使って、次の実践読み講座で読んでいきましょう。

ユニークな皆さんと、楽しく勉強できることを楽しみにしてます。

3月6日、27日でしたね。

どうぞよろしくお願いします。

IMG_2080_20160202114227192.jpgそして、もうひとつ。

講座中、撫でてもらうことをずうずうしく要求したり、目立とうとしてむきになったりするにゃんたちを温かく迎え入れてくれてありがとうございました!