心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

自分の見たいものが世界をつくる 象徴は自分を映し出す鏡

人は誰でも、現実のすべてが見えるわけではない。

多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。

カエサルのものとされる有名な言葉。

今日の講座で、「出来事や人の行動からトランジットを考えると、どうもこじつけているように感じることがある。どうすれば、こじつけじゃないトランジット読みができるのか」という質問を受けました。

良い質問、そして難しい質問ですね。

「では、”こじつけ”と”こじつけじゃない”のにどのような違いがあったりしますか」と尋ねたところ、「人の書いた文章を読んだとき、ひとつの象徴を強調して読んでいるなと感じると、それがこじつけなのかなと思います。何でそう思うのかという裏づけがちゃんとあれば、また違うのかもしれませんが…」という答えが返ってきた。

こちらも、よい返答ですね。

ある知り合いは、Facebook陰謀論の記事ばかりをシェアしているらしいが、つまり、それもそういうことだ。

その男性にとって、世界は陰謀に満ち満ちているのだ。

流れてくるニュースは、すべてアメリカの陰謀。

地震原発も人為的なもので、われわれ日本人は彼らにまんまとやられている。

まあ、そこまで大げさはないにしても、私たちは誰でも主観的フィルターを通して世界を見ている。

人は自分の目に、耳に心地よい情報をより多く拾う。

これをアドラーは、

人間は意味の領域を生きている。

われわれは状況をそれ自体として経験することはない。

人間は意味を離れて生きていくことはできない。

われわれは、現実を常にわれわれがそれに与える意味を通して経験するのである。

こう表現した。

私を取り巻く私の世界は、他の誰でもない、私が意味づけしたものだ。

自分が真実だと信じている世界は、実際、私が見たい世界である。

芥川龍之介の「藪の中」のように、世界には三者三様の真実があるということだ。

象徴も同様である。

というか、象徴こそ「主観」である。

海王星が拾い上げた真実のインスピレーションの背後には、月=欲求=私的感覚が横たわっている。

だから、「これが真実だ」ではなく、「これが私の見たい世界だ」というように言い直すこともできる。

ということを自覚したうえで象徴を読むと、自分のことが本当によく見えてくる。

私が切り取ろうとしている世界のゆがみも、こだわりもわかる。

自分がどの象徴をどう拾っているかで、自分の見たい世界がわかる。

だから、占星術は面白い。

自分のパターンを知るのにとても役立つ。

象徴は、心を映し出す鏡。

最近、火星推しの私は、一体、どのように世界を意味づけしようとしているのか。

みんなもよかったら考えてみてね。