心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

太陽ときどき月 金星と海王星を携えて自己を統合させる

久しぶりに風邪をひいた。

もう何年も風邪ひいたことがないから直し方がわからず、ここ数日、途方に暮れていたけれど、今朝はあんまり気持ちのいい陽気だったので、しょぼくれている場合じゃないことに気づき、風邪をやめることにして朝からジョギングとかしてみた。

”気”が落ちていくさまも観察でき、火星の重要性を再認識できたりして、風邪をひくのも悪いことばかりではないと思った。

弱っているときは、人の太陽の輝きがよくわかる。

日食観察用のピンボックスに入っているような気分で、みんなの太陽の様子を眺めることができた。

活動の報告を受けたり、みんなの赤ペン原稿を読んだり(明日から魚座だね)していると、その人らしい太陽の輝かせ方のしくみがわかったりして面白い。

人は自分らしさを表現しようとするとき、自己と深く結びつき、自分に対してとても誠実な存在になり、そしてその結果、自己と環境とが調和する。

それぞれがそれぞれの才能と情熱、そして献身と理想によって突き動かされ全体になっていく。

これが心理学のいう統合のしくみなわけだ。

占星術にいうと、ひとつの考え方として、金星と海王星は、太陽系の中でも限りなく真円に近い軌道を動くという意味において、自己表現=太陽に忠実な天体であると考えることができるかもしれない。

よく、金星、海王星は芸術的才能とか言われるけど、つまり、そういうことだ。

太陽系を忠実に構成し、私という統合を創造する。

だから、太陽をやっている人は、誰でも美しく、そして人に夢見の力を与える。

生まれ持ったギフト(金星)と、自分であることの必然性(海王星)とを携えて、人に情熱の熱を伝える。

そして、もうひとつ重要なもの。

太陽をやるための下準備としての月。

落ちているときは、自分の好きなことしかしたくないし、好きなものにしか触れていたくない。

熱でぼーっとしている中、リヒテルのピアノを聞きながら、天体望遠鏡を窓際において月と木星を追いかけてみたりしていた。

私を癒すのは音楽と星と、それにまつわる夢と。

自分にわがままを許した時、自分の本質に偶然に出会えることもある。

悲しみのありかを知り、喜びの居場所を突き止ることができる。

太陽に向かっていくため、心を癒し、整える。

元気になったら何するか。

今からすでにワクワクしている。