心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

心理占星術とは?――成長過程から、態度価値、中年の危機まで

講座のたびに、「心理占星術占星術の違い」について質問を受ける。

心理占星術を本格的に教えるようになって8年目になったが、当時と比べるとだいぶ認知されてきたように思う。

それでも、その違いをはっきり理解して学んでいる人は少ない。

というか、私自身がそこに何の違いも見出していないのかしれない。

なぜなら、占星術の象徴って、心と密接に結びついているものではないのか?

天体と神話もしかり、発達年齢域や公転周期という考え方しかり、人間の営みや成長物語を表現しているものではないのか?

太陽の成長の先にあるものが個性化(個人が内在する可能性を実現しながら、より全体的な自分自身になること。そのためには、それまで自覚されなかった無意識の領域にあるものを意識の中に取り入れ、統合していくことが不可欠)でなかったら、太陽のエネルギーの先には何が待っているのだろう。

多くの人がジオセントリックチャート(太陽系を地球中心の視点として描く)を利用しているとしたら、自分の人生が何者かによってコントロールされているという宿命論的な立場をとるのではなく、自分の太陽系を自分の責任の下で生きるものと考えるほうが自然ではないだろうか?

あらがえない出来事に対し、「夜と霧」の作者ヴィクトール・フランクルの言う態度価値(運命を受け止める態度によって実現される価値。病や貧困やその他様々な苦痛の前で、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されているという価値)、私の考える人生におけるトランスサタニアン経験が個性という光のような輝きをもたらしてくれるのではないだろうか。

または、人生が思うように立ち行かない不安、空虚さ、無力感、混乱に打ちのめされ、自己存在の危機を感じる中年期、それは占星術でいうところの火星期にあたり、勇気と自己信頼(牡羊座・火星)、また深い内省のとき(蠍座・火星)を経て、自己の全体性を実現させる(木星期)ことが可能であると考えることは、非常に有意義なことではないだろうか。

こういった、誰の人生にも起こり得るドラマを心理的表現の手助けなしにどのように理解するのか。

そのほうが疑問である。

人を知り、人の人生を理解するためには、心理占星術の象徴解釈の方がもちろん話は早い。

なので、ホロスコープを読むなら心理占星術占星術の区別などせず、様々な方法や言葉で「人」を表現するべきだと思う。

昨日の実践読み講座でこのような話になった時、参加者のAIさんが、「nico先生の心理占星術は、ホロスコープの象徴を点の集まりとして読むのではなく、点と点とを線で結んで物語として読んでいく。それが構造として理解しやすい」と言ってくれましたが、それは、そうですね、天体もサインも単体で働いているものは一つもないわけですから、「どこからきて、どこへむかっていくのか」は、とても大事に読んでいるかもしれません。

また、まだ心理占星術の読みに慣れないというJさんが「例えばオポジションを難しさとして読むのではなく、才能と読むのに抵抗がある」とおっしゃっていましたが、ホロスコープに表記されているすべてが葛藤であり、またすべてか才能と可能性であるはずです。

つまり、本人の成長によりけり、本人の使い様であるということです。

なので、講座では難しく出た場合と、成長した先の成功の最大値までイメージできるよう練習していきますが、それはそうです。

せっかくそこに可能性があるのに、こちらがそこに制限をかける必要はないのです。

だから、学ぶ側自身もホロスコープに表示された象徴を、ただ人生がうまくいかない理由のするのではなく、宝の宝庫としてホロスコープを扱う必要があるわけです。

実践読みの現場でお話ししていますが、私は心理占星術を心理カウンセリング寄りに利用しています。

ホロスコープの象徴を個人の実現可能な現実に結びつけ着地させること

②現実の問題を自分の力で対処できるようになること

③自分の資質を利用し、創造的に生きること

主にこの3つを目指すことを目標に講座なり、鑑定なりを行っています。

普通の?占星術がどのようなものか、私にはよくわかりませんが、今日ここに書いたことを意識して学んでくれるときっともっと講座が楽しくなるかもしれません。

nico