心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

私と心理占星術 自由に話せる言語を見つけた日

まずは、実践読みの生徒さんYさんから、課題を提出してくれた際のメールから。

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思いっきり見当違いなことを言ってたとしても、先生に直してもらえるならまあいいや、という感じで提出してます。 (宿題で提出期限があったのは返って良かったです。でないと「明日から本気出す」状態がエンドレス。)

箇条書きで提出させて頂きます。

全文、文末に「かもしれないし、そうではないかもしれない」と言い訳をつけたい気持ちです。

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最後のこの「全文、文末に「かもしれないし、そうではないかもしれない」と言い訳をつけたい気持ちです」は、多くの占星術学習者が同じ気持ちでいるかもしれません。

こんなメールをもらうこともあります。

賛同する方も多いかもしれません。

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時期読み、全く手も足も出ません。

結局、チャートに書いてあることを、そのまま読むことしかできません。

自分があまりにも読めなすぎて、占星術を嫌いになりそうです。

泣きたいです。

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それでも頑張って、こんなレポートを提出してくれる方もいます。

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あんなに落ちこぼれだったTさんが!こんなすごいレポートを!

学んでいるといろいろな時期がありますね。

聞いているとわかった気になる。

いざ、自分で読んでみようと思うとなかなか言葉にならない。

そんなもどかしい時期もあります。

私は、性格がのんびりしているからなのか、あまり焦ることなく、コツコツと習ったこと、覚えたことをノートに自分の言葉で書き写していくという作業をしつづけ、学び始めて4年目ごろにようやく仕事にするまでに至ることができた。

けれど、なぜかわからないけれど、初めての占星術のクラスで、私は”自分の言葉”を見つけた気がした。

占星術の言語がとても耳になじみがよくて、「これなら自由に話せるかもしれない」という気がしたのだ。

それまでもTVの企画、構成の仕事をしていたわけだから、私なりの”言葉”を持っていたはずだったのだけど、けれど、なぜか伝えようとするたびに、「そうではない」「そういうことを言いたいわけではない」という違和感があり、時には自分の言葉で人や自分を傷つけているような気になることもあり、どんなに言葉を選んでも、自分の言いたいことが伝わらないもどかしさに残念な気持ちになることも多かった。

そんなときに占星術と出会い、初めて自由に話せる言語を見つけたような、そんな幸福な出会いを体験することになった。

46億年前から存在している太陽系の天体たちの、そのサイクルや姿かたちや神話などから作られた象徴を理解することで、人の人生を物語ることもできれば、社会情勢を読んだり、未来を予測することもできる。

大いなるものの影響を恐れることなく享受し、感謝の気持ちを持つこともできる。

占星術の言語のおかげで、私は人を傷つける心配より、人の知識の扉が開かれる機会に立ち会える喜びを得た。

それならば、さらに技術を洗練させ、自分の考え方を前向きに整え、自律的な生き方を心掛け、もっと良いものを人に届けていこう。

そのような希望を持つまでに至った。

そして、今日の勉強会でもそうでしたが、人の語る言葉によって細胞が新鮮な刺激を受けることもある(今日の勉強会や実践読み講座でもたくさん体験しました)。

知、言葉は「私」という存在を支える力であり、そして「呼吸」でもあります。

自分の言葉を見つけるには時間はかかりますし、リアルな自己像にぶち当たることもありますが、「私らしい言語」が身につくと、自由に呼吸ができるような、そんな開放感を味わうことになります。

それが双子座=水星=肺=呼吸のテーマでもあります。

自由に呼吸ができる日を目指して、学びを通し、言葉をたくさん拾い集めてもらえたらうれしいです。

皆さん、これからも頑張って学んでいきましょう。