心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

木星が射手座から去ったとしても、心の旅はこれからも続くよ続く

射手座木星最後の5度に合わせ、秋晴れの美しい空の下、今秩父三十四か所札所めぐりは満願を迎えました。

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どの季節も自然は美しく寛大でしたが、やっぱり道中は厳しかった…

道は果てしなく長く、山の中は暗く、遠くの鳥の声に不安を駆り立てられ、近くに吹く風にあおられ(普通は公共の交通機関を使うらしいですが、私はもっぱら歩き派だったので)。

途中何度も心が折れそうになりましたが、今回のこのチャレンジは「自分を知り、自分ともっと仲良くなるため」に始めたわけだから、そうそう自分のチャレンジを諦めるわけにはいかない。

そして、昨日は一番の難所32番「般若山法性寺」の奥の院にチャレンジ。

道なき暗く湿った山道を歩き、ほとほとべばったところで垂直の足場にたどり着く。

鎖を頼りに5mほど登ると空中にせり出した岩盤=岩船に到着する。

高いところが得意な私でも足がすくんで一瞬動けなくなる。

それから、ほぼ足場もない絶壁を横に移動し、巨岩にへばりつくようにして移動し、再び鎖を頼りに垂直に上がると、そこには太陽を背負った大日如来が静かに座している。

50センチ進むにも渾身の力と勇気が必要な道のりだったが、如来に出会えたときの感動はひとしおで、岩の上は人が一人座るのがやっと、強風にあおられてうっかり断崖から落ちる危険もあるわけだけど、一面に広がる山並みのあまりの美しさと、大日如来の穏やかな表情に時をすっかり忘れ、座禅を組んで、しばし瞑想をした。

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32番の句

願わくば 般若の舟に乗りをえん いかなる罪も浮かぶとぞ聞く

最後の札所「水潜寺」で御朱印をもらったとき、住職に「この御朱印帳はどうすればいいんですか?」と聞いたら、「2回目、3回目と朱印を押し続けるんです。こういうことには終わりがないですから」と言われた。

「40回もくれば、御朱印帳も真っ赤になりますよ」だって!

木星が射手座から去ったとしても、心の旅はこれからも続くよ続く。

改めて、皆さんにもぜひ巡礼をおすすめしたい。

マインドフルネスを実践している人も多いと思うけど、やはり自然の中で、自分のすべての器官で、「今、一度しかないこの瞬間」を体験するのに、歩く修業は本当に有効だ。

虫も鳥も、川の流れも風も光も、すべてが調和している中に調和するということ。

すべてが必要なものとして配置されている、その美しさの中に生きるということ。

そういったことを体験するのに本当に役立つと思う。

私もおかげさまで、自分のやるべきこととそうでないことの軸が定まったように感じる。

自分のやるべきことに集中し、他の人の「さが=性」を尊重する。

自分にできることはとても少なく、だからこそいとおしく、それは他の人も同様で、他の人の行為もまたいとおしい。

蠍座火星に入る前に、また山羊座木星に入る前に、そんな「私」が少しでも見つかってよかったと思う。

これからも修業は続くし、2日間歩きすぎて足がボロボロになっているけど。