心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

火星の使い方の違いは「持てる者と持たざる者」 そして私の場合

ワークショップや講座などで皆さんの話を聞かせてもらって、私自身が「私のプラス3点」の話をしないのはちょっと不平等な感じがするのと、そして、最近誤解されることが多くなってきたので、ここでひとつちゃんと理解してもらいたいと思って、私なりの”告白”をすることにしました。

私に会ったことのある人は、おそらく私がとても恵まれた人生を生きていて、いつも「持つ者」の側にいるように見えていたかもしれません。

だから、太陽や火星をやるなんてお手の物、自信満々に自分の人生を開拓している人、そんなイメージを持たれている方もいるかもしれないですね。

でも、たとえば私が今やっている火星プロジェクトのスローガン(のように見える)「変化を恐れすぎるな!生きる勇気をもう一度奮わせろ!」というのは、これが大事だからではなく、むしろこう生きざるを得ない人生――持たざる者の人生を生きてきたからこそのものだということを、もう一度改めて伝えたいと思っています。

火星の使い方の違いは、「持たざる者」が獲得していくときの力としての牡羊座と、そして「持てる者」がそれを保守するための力としての蠍座というのがあり、だから講座でも「本気でサバイバルしないと牡羊座の火星なんて身につかない」と言っている通り、何かを「持っている」と感じているときは、それほど火星力を使わなくていいということになる(野生動物たちのように、必要な時にしか狩りをしない)。

けれど、人生には「持たざる者」もいつしか「持てる者」へと物語を進めていくことができるようになるわけで、その時は、いつまでもガツガツとないものを求め続けていくのではなく、持つことの安心を実感(金星)し、今あるものへの愛で満たされる必要があるし、「持てる者」も時代や環境が様変わりしたとき、あるものを守る生き方ではなく、「持たざる者」の恐怖の中で獲得へと向かっていく必要が出てくることもある。

そして、私は紆余曲折を得て、持たざる者=弱者の人生から「持てる者」への人生を勝ち取ることができた。

自分の力で生きていると実感したとき、本当の意味で自分の中に「強さ」を感じることができたわけだけど、それはもちろん、そう簡単なわけはなく、だから、その道のりのサポートを私ならできるのではないかと思い、今、皆さんの「自立支援」のサポートをさせてもらっている。

私の手首には刃物によるたくさんの傷がある。

5年間、摂食障害で苦しんだこともある。

母親は自分の思い通りにいかないと刃物を持ち出し家族を脅すような人で、私が実家にいるときは一度も「挨拶」と「感謝」の言葉を聞いたことがなく、弟は病気がちで、父親はそんな家族の不幸は私のせいだと暴力と暴言で思い込ませた。

祖母や親せきに頼ったこともあったが誰も取り合ってくれなかった。

それでも私は生き残ってきた。

それは私の中にある「美徳」のおかげだと思っている。

仲良く寄り添う家族に憧れを持ったことはあれ、一度も両親を恨んだこともなく、犠牲的に見える行為も進んで引き受けてきた。

子供のころから、「善行」がまわりまわって私を助けるだろうと信じていたし、だから日々生きとし生けるものに感謝し、神々に手を合わせ、見えないものに守られているという空想をした。

決定的な自立はテレビの仕事をしているとき、自分の子供に手を挙げる母親たちの自助グループのドキュメンタリーを取材しているとき、私もカメラの前で自分の家族の話をすることにしたと親に告げたら、「そんなことしたらお母さんは自殺する」と言われたので、それを最後に家を出て、それっきり親を頼ることをやめた。

もちろん母親は死んでいない。

世の中のカウンセリングやセラピー関連の父親問題、母親問題に対しては、いつも違和感があった。

自分の中にあるものを使えば(占星術では地球型天体、タロットでは魔術師、女教皇、女帝)、またはアドラー的”今=自分”を生きれば、自分の不幸を誰かの、または何かのせい(ナラティブセラピーだと「問題の内在化」)にし、そんなに心を掘り下げなくても過去も未来も変えられるのにと思っている。

問題を外在化させ、自立を目指し、自分の持っているもの大切に育て、理解者とのめぐりあいを大切にし、頼れるものは頼り、未来を信じ、少しずつ、本当に少しずつ「持てる者」になる。

それで人生は十分じゃないかと。

長い間、恐れや悲しみ(しばらくは父が背後に立つことも恐ろしかった)に圧倒されることもあったが、でも小さいころから星を見て癒され、万物の神を信じて勇気をもらった、その「力」をもとに仕事ができていることを心から感謝している。

このプロセス、48年の成長のプロセスが私の哲学であり、それが今の講座やワークショップの核である。

あんまり楽しい話ではないですが、私が占星術を使ってやっていきたいこと――多くの人たちが「恐れの中においても、勇気をもって自分を生きること」「自分の持っているものを活かして生きること」――を理解してもらえたらうれしいです。

今日、偶然、ふみさんから「星読みライティング勉強会」の感想とともにこんなメールが届きました。

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人間は、運命に翻弄されるだけの弱き者ではないはずだし、私自身もそこに甘んじていたくはないです。

もう、自分の弱さをデフォルトするのは終わりにしたいと思っています。

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心の痛みは消えることはないかもしれない。

恐れが消える日も来ないと思う。

まだ、どこかで持たざる者の弱さを感じているところもある。

でも、いつでもすっと立ち上がり、お尻についた土をパンパンと払い、また再び歩き出す、そんな勇気をみんなで持ち続けられたらいいなと思っている。

【追記】

このブログを読んだ方から、「大丈夫ですか?」というメールをいただきました。

「他人の嫉妬に苦しんでいるのかな?自分の辛い過去に縛られているのかな?と、誤解してしまった」ということです。

そうか、そういう反応も予測しておくべきでしたねー

急にカミングアウトされるとびっくりしますよね。

nico先生だからできる」という声に対してのブログだったのですが、”ハッピーエンド”で締めくくってほしいということなので、では、ちょっとだけ書き足しておきます。

もちろん、今はむちゃくちゃ元気です。

というか、占星術の仕事を始めたころには、幼少期の問題はすでに私にとっては「どうでもいいこと」の一つでした。

それより、心理占星術に出会ったときの「こんな面白いもの、たくさんの人に伝えなくちゃ!」という気持ちのほうが強く、グズグズやっている暇はない!という感じでした(心理学ではなく心理占星術ね)。

それくらい、心理占星術には「未来を生きる教えが詰まっている」と感じたのです。

それからは何かに惑わされたり、ひどく落ち込むことはないです。

最近のnico用語の流行では「結界が張られて」からは、またはいつも講座で話しているとおり、太陽を生きれば月の問題は解消できる、もしくは太陽の原動力になる(月はいつでも太陽を生きるための土台になる)ということです。

そうすれば、おおむね自分の世界は自分のものであると実感できます。

両親との関係も今が最良の時です。

母はガンになってから、ようやく家族に対して感謝の気持ちを伝えられるようになり、今、両親はふたり仲良く暮らしていて、そんな二人を私もほほえましく見ています。

私の仕事にも理解を示してくれていて、出張の時は二人でうちの猫の面倒を見てくれています。

でも、もし叶うことなら、今この穏やかな風景を幼いころの私に見せたい、そして「その努力はいつか報われる」と教えてあげたいとは思います。