心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

海王星 答えのない時代。曖昧なものを曖昧なまま理解するという…

日々、鑑定や講座を心から楽しく、またかなり気合を入れてやらせてもらっている。

 

現場では、期待や諦めといった思いも含め、「今、この自分を生きていくしかない」という事実を受容するというか、決心するというか、そういった姿を目の当たりにすることになる。

できないこともある、もっとやれることもある、そこに悩みもがきながら、自分の進むべき方向、やれることの範囲を定め、自分にGO!を出していく。

その決心の場に立ち会うことができるというのは、本当に光栄なことだと思う。

 

講座でもよく言っているが、意を決して来てくれたクライアントさんのチャート(コンサルテーションチャート、ソーラーアークプログレッションという進行図)には往々にして、スペシャルな配置が見つかることが多い。

こちらが興奮しすぎて、やや前のめりになることもあるのだけれど、そういう重要な局面に立たせてもらえるからこそ、こちらも勇気ある鑑定をしていく必要もあると思う。

それがここ1か月繰り返し伝えている、「言うべき必要のあることを伝える勇気」「掛け値なしにきちんと伝える勇気」という誠意の見せ方が現場には必須という話だ(言葉の選び方や伝え方のテクニックは必須だけれど)。

 

これが風の時代の一つのあり方、風の時代の思いやりの見せ方になると思っている。

合意形成として、お互いが意思の疎通を図るのに言うべきことを言わずに信頼関係が成り立つとは思えない。

 

しかし一方で、このような答えのない時代において、曖昧なものを曖昧なままにしておくことが生きる態度として必要になるということも、同時に伝えていかなければいけないこともある

 

人生の学びのプロセスには、

①座学で知識を学ぶ(双子座=風エレメント)、

②現場で通用する技術を学ぶ(乙女座=地エレメント)

③より専門性を高める(射手座=火エレメント)といった段階を経て、

④最終的に生きることそのものが学びであるという魚座=水エレメントによって学びが完成していく、最終的に心を育てていくことが学びを完成させると考えることができる。

 

また、海王星には「あいまいさ」という意味がある。

占星術的にはこの意味を「よくないもの」として解釈されることが多いが、実際にはどうだろう。

人の心そのものが、または人生そのものが曖昧であり続けるものなのだから、「あいまいさを生きる」ことは一つの生きる姿勢と言えるのかもしれない。

 

だから、たとえば渡部健の会見じゃないけれど(見てないけれど)、過ぎてしまったことの事実を知ろうとあれこれ質問してみても、そのときの彼の心の真実が、実際わかるのかどうか。

なぜ?なぜ?言われても、本当のところ彼自身もわかってるんだかわかってないんだか、真実を知ることなんて、きっと誰もできないはずなのだ。

 

法=射手座=木星で行為を裁けたとしても、人そのものを裁くことが本当にできるのだろうか?

そうやって人の心まで裁こうとしたとき、自分の心は苦しくなったりしないだろうか?

あらゆる可能性を持っている心=水を、たった一つの器にだけ合わせて固定させることなどできないではないか?

 

そういう曖昧なものを曖昧なまま理解する成熟さ、すべてを受容し水に流す鷹揚さ、それが大河のようにゆったりと流れゆく海王星=水エレメントの成熟した知性なのではないだろうか。

 

答えのない人生、まるで霧の中を手探りで歩み続けているような、まさに「五里霧中」ともいえるべきときがあり、正しいのか間違っているのか、進むべきか戻るべきか、これまでの人生で得てきた知識や情報(双子座)、現場での経験(乙女座)、社会的倫理や道徳(射手座)などでは判断できないようなことを目の当たりにしたとき、どうせ答えはないのだから、強引に白黒はっきりつけることなく、曖昧さの霧の中に立ち、静かに目を閉じ(周囲の情報やこれまでの経験をシャットアウトし)、その瞬間の自分の心に従って進んでいく。

 

それが学びのプロセスだということだ。

でも、逆を言えば、最終的に心が判断できるというのは、知識や経験の後ろ盾があるからだとも言える。

ここまでやった、ここまで身につけたからこそ、最後は天任せということもできるということだ。

 

誰でも迷う。

誰でも不安になる。

でも、その時々、自分なりの選択、真実を生きるためにも、人生を学び続けるしかないのかもしれないけれど。

 

これもよく講座でお話しすることですが、曖昧模糊とした象徴言語=海王星を前に、象徴を選び取ることができるようになるにはどうしたらいいかということの答えとして、机の上での勉強、現場での経験、そして哲学や人生観といった形而上的知識の後ろ盾があり、結果、必要な象徴を選び取ることができるようになる、というものではないかと私は考えています。

 

でも、それでも答えが見つからないことも多いです。

人の心は移ろう。

真実も移ろう。

だからこそ、わかる日が来るのを楽しみに、小舟を漕ぎつつゆったりと大河を進んでいく。

答えは、生き続けてみないとわからないことが多いのだから。

そんな気持ちで占星術も学び続けてみてください。