生き方働き方研究会で詩人のチャートを取り上げてから、詩を読むことが日課になっている。
そして、この1週間、ある詩のことばかり考えている。
金子光晴の「寂しさの歌」だ。
この詩は、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語る』の引用から始まる。
国家はすべての冷酷な怪物のうち、
それは冷たい顔で欺く。
「わが国家は民衆である」と。
まず、この冒頭で圧倒されてしまった。
これほどの真実を私は聞いたことがないかもしれないと。
まったく誰のための政治、誰のための戦争なのか。
政治家たちの未解決な問題や個人的な欲望のために国民が利用されていると、気分がいいわけない。「丁寧に説明を尽くす必要がある」と言ってのける姿には呆れるしかないし(そんなの最初からわかっている)、「魂に殺人の罪を負わせられない」と徴兵拒否し自殺したロシアのラッパーの記事を読むと、いい加減どうにかならないのかと暗い気持ちになる。
頭上をミサイルが飛んでいく時代が来た。
防衛費増額の議論は、おそらく、これからもっと活発になっていくことだろう。
今は、いったい誰の欲望で政治は進んでいるのだろうか。
占星術界では、今のこの状況をどのように分析しているのだろうか。
2か月ほど前の月イチ勉強会「今、天空では何が起きているのか」では、安倍元首相の銃撃事件を受けて、「冥王星の配置が、これからもっと意味を持ち、政治、経済の分野に影響を与えることになるのではないか」という話をした。
ほんの少しだけ抜粋の動画を。
ご存じの通り、10月9日には冥王星は順行になって水瓶座へと一気に向かっていくことになる。戻ってきたとしても、山羊座の27度までしか戻らない。
勉強会でも話したとことだが、ということはつまり、今、私たちは山羊座・冥王星の最後の5度、山羊座・冥王星のクライマックスを迎えているということになる。次に山羊座に戻ってくるのは247年後だとすると、ここで私たちは、冥王星のふるまいをしっかりと身につけなければならないということだ。
では、冥王星的ふるまいとはどのようなものなのだろうか。
私はトランジット冥王星を説明する際、冥府に連れ去られた娘ペルセポネとその母デーメーテールの神話を引用することが多い。
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地上から姿を消した娘を探し続ける失意の母親。ゼウスの命を受けたハデスから一旦、解放されたにもかかわらず、結局、神々の取り決めを守りきれず、再び冥府で暮らすことになった娘。その後、辛抱強く交渉を重ね、母と娘は年の3分の1を一緒に暮らせることとなった。
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一度、手の離れたものをそっくりそのまま同じ形で取り戻すことは難しい。しがみつこうが泣き叫ぼうが、どれだけ武力や権力を行使しようが、失われたものは返ってこない。うまくいったとしても、3分の1しか思い通りにすることはできない(神話は、一応そういうことになっている)。
強引に手に入れようとすれば、神々の意思(=象徴的には民意ということになるだろうか)に覆される。
だから、すべてを失う前に、妥協や説得を通じて、どこかで手を打たなければならない。
これが私が提唱している冥王星的ふるまいのひとつである。
国家のレベルでは、MC=山羊座とは自他ともに認識される国の在り方ということになるだろうか。冥王星が山羊座に入室してから、あの強い日本をもう一度、モノづくり日本を再びというように、各国、失われた理想の姿、立場にしがみつきつつ、新しい国の在り方に苦戦してきたのではないだろうか。
個人のレベルではどうだろうか、キャリアのテーマとして体験してきた人は多いのではないだろうか。そこにあると思っていたMC=山羊座的な姿を追い求めた結果、結局、自分のなりたい姿には手が届かなかった、こんなはずではなかったと肩を落としている人はきっと多いに違いない。
またI haveというテーマ、自分の所有物(能力、金銭、身体)が思っていた以上に通用しなかったと感じている人もいるだろう。
このように冥王星は、「もたらさなかったもの」を体験することを要求する天体なのだ。
いくら求めても手に入らなかったもの、それは何か。
それを理解した後、どんな交渉ができるのか、誰を味方につければ、誰の声をもっともよく聞けばすべてを失う手前で物事を収めることができるのかがわかるかもしれない。
娘ペルセポネが地上に戻る数か月は、母デーメーテールにとって大いなる喜びの季節である。
それを私たちは「春」と呼んでいる。
失ったものは大きいが、守ることができたものの美しさ、豊かさは格別でもある。
大切なものを完全に失わないためにも、私たちは今こそ、山羊座冥王星の最後の覚悟
「いくら求めても手に入らないもの、それを理解し、受容することでしか前に進めない
」
を決め、3分の1の春を得ることに努力するべきなのではないだろうか。
というか、冥王星の本体は火星であるという考え方を用いれば、新たな可能性を拓くための損失、新たな在り方を形成するための喪失であったと考えれば、もっと話はスムーズなのかもしれない。
この国/企業/個人の在り方には、そもそも既に未来の価値はない。
失ったものを探し続けても、その先に待っているのは多くの犠牲かもしれない。だったら、新しい国/企業/個人を再建するしかない。
山羊座・冥王星最後の5度、皆さんはどんな気づきを得られているのだろうか。