事あるごとに私が大江健三郎ファンであることを公言しているので、それを知っている人は多いと思う。
大江健三郎が亡くなったと知ったのは、ちょうど打ち合わせの最中だった。
いま改めて、「もう新しい作品を読むことはできないのか」という喪失感とともに、大江健三郎がどのような作家であったのかを知ってもらう機会になったことを喜んでもいる。
この機会に多くの人たちに本を手に取ってもらえたら、作家としては本望だろうと思う。
障害を持ったお子さんのいる生徒さんから、「著書「個人的な体験」を読んでみようかと思っています」という連絡をもらった。
彼の小説はクセが強く、読み始めて最初の10行くらいで断念したという声をよく耳にするので、最初に手にするなら、もしかしたらエッセイのほうがいいかもしれない。
息子の光さんとの関係の、その宝物のような日々が、時に抒情詩のごとく、時にユーモラスに描かれているので、エッセイのほうが読みやすいかもしれません。
というか、大江健三郎のエッセイは、それはそれは見事です。20頁弱くらいの短い作品の中に喜怒哀楽もあり、ハッとする仕掛けもあり、豊かな知識体系もあり、音も色もそこらじゅうにあふれていて、彼のエッセイ集を一冊持っていれば、他にすることが何もなくても十分人生を豊かにしてくれる最高のエンターテインメント作品なのです。
おすすめは、以上の2冊ですが、「雨の木を聴く女たち」みたいな短編集、また書簡集や文学を語ってるエッセイなども読みやすいです。
以上の2冊は、繰り返し読んでいますが、いつ読んでも新しい発見があります。
私は、詩の読み方も大江健三郎から学んだようなものですが、上記の2冊は、ウイリアム・ブレイクを中心とした詩の読み方を丁寧に解説してくれていて、「新しい人よ目覚めよ」の中の「怒りの大気に冷たい嬰児が立ち上がって」で扱っていた
人間は労役しなければならず、
悲しまねばらなず、
そして習わねばならず、
忘れねばらなず、
そして帰ってゆかなければならぬ
そこからやって来た谷へと、
労役をまた新しく始めるために
は、私が自分自身の原点に帰るための重要なフレーズにもなってくれています。
読書を通して、大江健三郎とともに私も労役し、悲しみ、習い、忘れ、そしてやってきた谷へと帰っていく、そんな気分になることができるのです。
大江健三郎は、伊丹十三の死や障害を持つ息子の存在もあり、とても暗く重たい印象を持たれることもありますが、彼の作品のほとんどは、特に小説は希望にあふれた救済の物語であり、読後感はいつもすがすがしい。
ダンテの神曲の冒頭に
人生の半ばで
正道を踏み外した私が
目を覚ました時は暗い森の中にいた
とありますが、まさに大江健三郎作品もこのようにして始まっていき、暗い森の中を歩き続け、最後にふっと明るい小道に出る。最後は「私が探していたのはこの道だ」と確信し、また新たに歩みはじめていく…
彼の小説は、死をもっとも身近に感じながらも、「死なないように生きること」がテーマであり、「救済」の小説家なのです。
これこそ、まさに水瓶座の象徴である「パンドラの箱」の神話そのもの。最後は「希望」を手にすることになるわけです。
自分が偏愛する人の話は尽きないですが、今日のテーマはパースペクティブについて。
土曜日の実践読みクラス2回目、月曜夜クラスの心理占星術基礎講座9回目ではサインのカテゴライズとして、
●オポジションサインの補完関係について
●モダリティと自分らしいシステムづくりとは
●エレメント&パースペクティブによる成長プロセスの考え方
などをやりましたが、このパースペクティブという考え方がなかなか面白く、そして現場でもとても有用なものなのですが、従来の占星術の扱いとは大きく違うので、少し時間をかけて説明してみました。
12サインにおけるパースペクティブとは、牡羊座から蟹座までが個人、獅子座から蠍座までが関係性、射手座から魚座までが社会のパースペクティブとなりますが、パースペクティブとは展望という意味から、目指すべき世界とは?という考え方をしていきます。
ということは、個人サインは最初から個人らしく、社会サインは最初から社会サインらしく振舞えるわけではなく、では、どうすれば社会サインは「社会」というパースペクティブを手に入れることができるのか、その成長のプロセスを考えることが人の物語にとって大事になるのです。
そこで太陽、月、水星、金星を社会サインにもつ大江健三郎はというと、ノーベル文学賞の授賞理由に「個人的なものを深く掘り下げることにより、すべての人間にかかわるものを表現することに表現した」、この文章こそパースペクティブから見た、成長のプロセスということになります。
社会サインは、社会活動のみで成長するわけではなく、むしろ、個人的世界を深化することによって、成長すべき方法がわかり、そこに向かって世界を広げていくことになるということです(彼の作品は、まさに「個人的な体験」から「人」へ、そして「世界観」へと広がりを見せていきますね)。
ここで欠かせないのが、彼にとっての関係性=光さんという存在が生まれたことによって、パースペクティブのピースが完成したということになるでしょうか。
個人ー関係性ー社会
人生の中で、これらをどのように育てていくか。
それがホロスコープを読む際の、重要な視点になるということになります。
皆さんもそんなことを意識しながら、ご自分のネイタルチャートを分析してみてください。
また、よかったら大江文学に触れ、彼の作品がどのように個人から関係性へ、関係性から自分のつくりあげた社会=世界へと向かっていったのかを想像しながら、救済の物語に触れてみてください。