春分の日は一日大忙し。朝の「月イチ勉強 春分図読み&柔軟サインの月を考える」から、夜の「火星ワークショップ蟹座期の巻」まで、非常に刺激的、示唆的、印象的で感動的な時間を過ごすことができました。
まずは、参加者の皆さん、休日のお忙しいところありがとうございました!
いろいろな意味で、本当に充実した時間でしたね。
まずは、Sさんの「月イチ勉強会の柔軟サインの月を考える」の感想から。
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夜の火星のWSの前に行ったふり返り会も、人それぞれの成長のプロセスに立ち会うことができて、これまたドキドキしましたよ。
Sさんが書いてくれたこと、触れるべきことがいくつかあるので、これはまた後日。
その日の終わりを迎え、私の中に魚座土星的課題が生まれました。
人の受け止め方は人それぞれ。だから伝え方に慎重さと工夫が必要だぞ。
実は、アップしなかった月イチ勉強会の告知ブログにこんなことを書いていた。
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心理占星術の月イチ勉強会での四季図読みは、「当てる」リーディングを目的とするのではなく、解釈を広げ、選択肢やアイデアを広げ、生きる可能性をも広げていく、そんな時間にしていきたいですね。
世界にしっかり目を開いて、まず、そこで起こっていることを冷静に観察する。
その出来事の背景にはどのような意味があり、どの象徴と結びついているのだろう。
時代の流れに飲み込まれるのではなく、時に時代と自分を結びつけながら、自分の問題として置き換えて考えてみると、また違ったふうに見えるかもしれません。
先日の時期読みパーフェクトマスター講座でも、そのようなことをお伝えしました。
そして、明日、私の春分図読みを聴いた後には、こんな問いかけを自分にしてみてください。
nicoさんはこう言った。
へー、そんな考え方もありなんだ、じゃあ、こんな考え方もできるんじゃないか。
こんなふうに考えることができたら、こういう可能性も考えられるし、そしたら、こういった提案もできるかもしれない。
私が提示した象徴をヒントに、「自分だったらどうか」をやってみる。
それが時期読みの練習になるはずです。
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今、読み返して、春分図読みの最初にそれをお伝えすればよかったなーと反省。でも、こういった心の揺れ、迷いこそ、柔軟サイン魚座土星の訓練なのかもしれませんね。
まず今回の春分図読みでお伝えしたかったのは、そもそも「土星」とはなんぞやということ。「土星」をどう理解するかで、過小評価も過大評価もせず、魚座土星を適切に表現できるようになるということです。
そのためにリンドブロムのインクリメンタリズムの話をしたわけですが、まずは陰の土星的アプローチとして、隘路(=物事を進めるのに妨げとなる困難な問題)の補正的除去というのを考えてみる必要があるとお話ししました。
その隘路の説明が、昨日の春分図読みの人によっては暗く、希望がないように聞こえたところなのかもしれません。
でも、土星はここからですよ。
先日のブログで大江健三郎についてのテキスト――水瓶座とパンドラの箱の関係、災いが噴出した先にある希望——を読んでくれた方もいるかもしれませんが、困難な問題を先に掲げることにこそ、希望というのは意味があるのではないか、私は希望をそうとらえることができると思っているのです。
まずは隘路、そこから少しずつ「現状との差異にもとづく選択」やら「考慮に入れられる代替策および結果の範囲の限定」やらをやっていく、それが希望へとつながる唯一の道なのではないか?
ただの日和見や楽観を希望というのではなく、現状を直視し、暗さを訴えることでこそ、希望に近づく道ができるのではないか?
そういう気持ちを込めて、春分図読みの中で隘路として、少子高齢化や国外へのヒューマンリソースの流出、自殺の若年化、アテンション・エコノミーや情報共有の難しさなどのお話をしていきました。
で、ここからが今日の本題ですが、では、そういった土星的ふるまいを踏まえて、魚座の土星の訓練とはどういったものなのかを考えてみると、実は、それは勉強会の終わりにもお伝えしたのですが、
対峙したものに違和感や憤りを感じたときこそ、
視点を大きく変えて物事をとらえ直してみる。
あえて違和感や不安を与えるものにこそ、自分の学ぶべきものがある。
それが魚座的訓練、希望の光なのではないかと思うのです。
もう、ピンと来ている方がいるかもしれませんが、そうです、魚座と対応している12番目の大アルカナ「Ⅻ The Hanged Man」の意味になるわけです。
明るさの中に暗さを、暗さの中から明るさを、喜びの中の悲しみを、悲しみの中の喜びを、そのように並べてみると、まさに二項対立的なものへの理解こそが魚座的であり、その理解を訓練することが魚座土星の訓練の一つになるということなのではないでしょうか。
ちなみに二項対立の意味をwikiから引用すると以下の通りです。
ちょっと長いし、ややこしく聞こえるかもしれませんが、最後の柔軟サイン(学びと理解)にふさわしい知性なのではないかしら。
1. 言葉の意味は対立する言葉と比較してはじめてわかる。「陸と海」の例で言うなら、「陸」は「海でないもの」、「海」は「陸でないもの」ととらえて初めて意味が明瞭になる。「陸」も「海」もそれだけで意味をなしているわけではない。
2. 二項対立は互いに排他的だが全体のシステムを形成している。陸であれば海でないし、海であれば陸でない。これが排他的な関係である。しかし、陸と海を合わせると、地球の表面のすべてを網羅している。これが全体のシステムを形成しているということである。
3. あいまいさが生じる。二項対立によると、あいまいさや重複が生じることがある。例えば、「陸と海」という二項対立の場合、「海辺」はどちらに入るのか。海辺は陸でも海でもあるのか、それともどちらでもないのか。また、「彼らと我々」の二項対立の場合、そのいずれにも入らない逸脱者はどうなるのか。
4. 対立する概念には社会の価値観が反映している。例えば、「臆病者」と言う場合、それは暗黙のうちに「英雄」と対比されて、「臆病者は良くない」というネガティブな意味が付与されることがある。これは社会の価値観が反映しているからだ。同じことは、既婚者と対比される「独身者」、男らしさと比較される「女らしさ」、我々と比較される「彼ら」にも言える。つまり、二項対立は単に自然を描写したものというよりも、社会の価値観を帯びたイデオロギー的なものということである。
5. 物語や映画などを読む時に役立つ。これはレヴィストロースが指摘していることだが、物語や映画などはある状態から別の状態に進行していくという特徴があり、それらの状態の関係は二項対立関係にある。例えば、暗から明へ、明から暗へ、あるいは制御からパニックへ、パニックから制御へ、あるいは人間と機械といったものである。
善は悪がないと存在し得ないというように、希望を語るためにも、まずそうでないものを設定する必要がある。
だから、「イデオロギー」という言葉が意味するように、魚座的知性の訓練がなされないと、勉強会でもお伝えした「こっち側しかわからない」という閉じた情報に終始し、必要な対立さえ排他してしまう可能性もあるということですね。
ふう。丁寧に説明すると、どうしても長ったらしくなりますね。
ということで、次回の勉強会は、もう一度、このへんの話をもう少ししっかり考えてみましょうか。
というかですね、4/1(土)の時期読みパーフェクトマスター講座では、「魚座の土星について」を500Wでまとめるという課題が出ていましたよね。
そのときに、この辺の議論をしっかりやるので、次の勉強会はそこでの成果の発表ができるといいのかな。
長くなりましたが、実は、昨日の火星ワークショップ蟹座期編でもお伝えしきれなかったことがあるので、それは近々補足動画として皆さんにお送りしたいと思います。
火星ワークショップの話はまたいつか。
このようにみても象徴は、考えれば考えるほど曖昧であり、言葉を尽くしても尽くしてもその真意が伝わらない、ほんともどかしい言語ですね。