心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

9/28(土)はフリートーク会2回目 伝わらないものだということを前提に、言語ゲームを諦めず、言葉にしていく努力ができれば、世界にほんの少し風が吹くかもよ

まずは、子育て研究会の参加者の皆さん、昨日はありがとうございました。研究会が終わった後も活発な議論が続いていましたね。

 

自分なりの子育て論とは。

そういった考え方にたどり着くことになった契機とは。

お子さんとのどんなやり取りがお母さんの気づきをもたらしたのか。

お子さんのどのような体験がお母さんを一歩前に踏み出させることになったのか。

 

誰一人として同じエピソードを話す方はおらず、まさに個別具体の物語がそこにあり、正解のわからない子育てというケアに向き合いながら奮闘する様子を時に面白おかしく、ときに苦しさと共に聞かせていただきました。

自分の軸が定まらず、何をどう話したらいいかわからないというお母さんもいました。

皆さんへのメールにも書きましたが、普段忙しくしていると、どうしても目前のことに追われ、一つ一つの出来事に一喜一憂してしまうので、こうして時々自己語りをすることで、また他の方の自己語りを聴くことで、自分の立ち位置の確認ができるのではないかなと思っています。

自分を語り直すことで、自分のぼんやりした輪郭を描き直し、定まりにくくなっている軸を仮固定することができる。これぞまさにナラティブの効能です。

 

昨日も、一度「私が子育てで大事にしていることは…」と話した後、「やっぱりこうかもしれない」と語り直してくれた方もいました。

自己語り慣れてないうちは、または子育てのシステムを変えたばかり、お子さん、または自分の環境が変わったばかりのときは、あーでもないこーでもないと言いながら、自分が納得するまで語り直す作業を何度でもやる。そのうち、「まあ、こんな感じかなー」というものが出来上がってくる。で、またしばらくすると「待てよ、こんなことも言っておきたいな」となる。こうして、自分を語っているうちに輪郭が見えてくる(かもしれない)。まあその繰り返しです。

 

これもメールに書きましたが、語れば語るほど自分の心と言葉がずれていくような、また人の思いと自分の思いがずれていくような気がする、それが言葉の本質です。

ずれるものだ、伝わらないものだということを前提に、言語ゲームを諦めず、言葉にしていく努力ができれば世界にほんの少しだけ風が吹くのかな、そんなことを昨日、子育て研究会が終わった後、わかなさん、ふみさんとラー油エビそば食べながら思った次第です。
 
ゲンロンの東浩紀も「言葉と現実はつねにズレている」「大事なのは、言葉と現実のズレに敏感であり続けること」と言っていますし、「なんか違う」をかみしめながら、それでも言葉にするトレーニングをしていくしかないのかな。
 
そんなことを火星サイクル手帳ユーザーのための「フリートーク会 vol.2」でもやっていきたと思っています。

ぜひ、自己を語り直し、自分の今を確認しにいらしてください。

そして、人の語りを聞きながら、自分の今を知るアイデアをもらってみましょう。

言葉にしないうちは、世界は地に足がつかないまま、ふわふわと漂い続けていきます。自分の世界を自分でつかんでおけるようにする。

そのような時間にこのフリートーク会を利用してもらえたらうれしいです。

ぜひ、自分を見つけに来てください。

 

詳細はこちらから

 

火星サイクルの二年は、短いようで長く、長いようで短い、あっという間の時間です。その道のりには、「大変すぎる、もうやめたい」「生きるのに疲れた」とか、何か自分がバラバラになったように感じるなど、様々な辛さが必ずやってきます。


そんな時、こんな仲間たちがいる、そしてもしかしたら自分のそういう辛いつまらない話にも耳を傾けてくれるような人がいることで、この火星サイクルの道のりが――楽になることはなくても、一歩一歩を進んでいくのに勇気が持てるようになったらいいなと思っています。

もう一つは、グループの中で、ひとりひとりが成長していくことを目標にしています。特に、自己愛=自分を大切にする力はたった一人ではできないんですよね。全然違う他者、他人と共有することによって初めて自己愛が回復されていく。
だから、自分の中のつまづきのようなものが起こったときでも、ここに参加すれば、「自分と似たようにグズグズやってる人がいるんだ」と。そんな他者を見て、自分自身を励ましたり合わせ鏡にしながら自分を回復させて、二年のサイクルを最後までやり終える。

そんなチームとして一緒にやっていけたらうれしいです。