ここ数週間の目まぐるしい政局の動きを横目で見つつ、わたしには政治的な感性がまったくないなとしみじみ思った。腹の探り合いがあり、駆け引きがあり、権力に対する強い欲望があり、力争いの末、煮え湯を飲まされる者もあり。こういった政治的なドラマや動乱の情勢にワクワクする人もいるのかもしれないが、これらはわたしにとって興ざめでしかなかった。
そして昨日、ようやく次期首相が決まった。
日本初の女性首相。これをいつまで聞かされるのかと思うと、ただ気が重い。女性が首相になり、女性の政治進出も進むはずなのになぜか気が晴れない。これはどういうことなのだろう。
元アエラ編集長で『男性中心企業の終焉 』の著者である浜田敬子さんが「高市早苗が首相になることはとても恐ろしい。まるで生存を脅かされるような気がするのだ」と言っていたが、わたしの周囲でも似たようなことを口にする女性も少なくない。『ケアの倫理とエンパワメント』の小川公代さんもしかり、国際政治学者の三牧聖子さんもしかり、フェミニズム界隈は何やら戦々恐々しているらしい。実際、自民党の女性支持率はダダ下がりしている。これは一体どうしたというのだろう。
初の女性首相ということで、間違いなく日本のジェンダー指数は上向くだろう。その影響がポジティブに働く未来を想像することはそんなに難しくないはずなのに、それができない。その理由はなぜなのか、わたしなりに何とか言葉にしてみたいと思った。
朝日新聞にこのような記事が載っていた。
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岩本美砂子・三重大教授は女性トップについて、
①男性的な価値観に合わせ、男性と同じように振る舞うタイプ
②女性と男性の利益に妥協点を見いだし、現実問題として解決を図り、「女性」ではなく「政治家」であることを強調するタイプ
③男性中心の政治に挑み女性政策を推進させようとするタイプ
の三つに分かれると説明する。高市氏については、男性議員によってつくられた規範や価値観にあわせてきた①に当たる。
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なるほど、確かにこのあたりにわたしたちを刺激する要素があるのかもしれない。
It's A Man's Man's Man's World(by James Brown)を生き抜くために、こういった処世術を身につけない女性などいないだろう。
もしかしたら、高市首相の言動から近親憎悪的な苦々しい気分を引き出されてしまうのではないだろうか。お気に入りの娘のようにふるまい、父/父的な人物の期待を裏切らないよう懸命に学び、ひたすら忠実に仕事をする、そのような彼女の姿に自分を見ているような気持の悪さを感じてしまうのだろうか。
高市早苗的な魚座=海王星を体現すべく、誰かの期待(主に父的な人物の)を必死に生きざるを得ないような、しかし、その結果、彼女は見事にやり遂げたにもかかわらず、では自分はどうなんだ、大した結果は出せてないではないかと、これまた父性的な人物に責められているような、そういった気分にさせられてしまうのではないか。それにより、高市首相の存在を脅威に感じてしまう、そういった女性がいるのも不思議ではない(わたしの父は、わたしを「末は博士か大臣か」を期待し、残念ながら夢破れた)。
その不安をあおるのが高市支持の男性たちであることを男性たちは気づいていない。「これで女性も社会で生きやすくなっただろう。よかった、よかった」と。そんな単純な話でもないだろう。実際、首相は「伝統的な女性の役割」を訴えており、彼女の就任で選択的夫婦別姓もさらに遠のいたではないか。
しかし、そうなのだ。高市首相がどうのこうのではなく、高市首相を担ぎ上げて喜んでいる男性の存在こそが恐怖なのではないのか? この男性至上主義の日本で、俺たちが女性を首相にしてやったぞ!といった状況の中で、わたしたちの生きにくさを帳消しにされてしまうような不安があるのではないか? だから「まるで生存を脅かされるような気がする」のではないだろうか。
いや。こういった不安はたんなる杞憂なのかもしれない。思い過ごし、取り越し苦労なのかもしれない。高市早苗というシンボリックな人物に未解決な問題を投影しているだけなのかも。
もしかしたら、その逆もしかりの女性もいるだろう。彼女に自分の夢を投影している女性も。そのくらい、彼女は人の思いを受け止めながら、そこに立っているのだ…
などなど。
が、こういったモヤモヤこそが、最後のトランジット魚座・海王星の物語なのだ。
何に心を揺さぶられたのか。どんなことに期待し、どんなことに不安や違和感を覚えたのか。わたしにとって、あなたにとって、その不都合な真実ははなぜ受け入れがたいのか。受け入れるためには、どう心持ちを変えるべきなのか。その先に、どのような未来が待っているのか。
魚座のTさんは、今日こんなメールを送ってくれた
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まさに!答えを求めすぎず、あいまいなものはあいまいなままに。柔軟サイン的な姿勢も、海王星の最終コーナーで身につけたい態度価値かもしれない。
高市首相にも、自民党にも維新にも、その野党にも期待があり、不安や違和感があり、最終的に不都合な真実を受け入れながら、またはどうなるかわからない「未知」を受け入れながら新しい政権運営へと向かっていく。
牡羊座を逆行中の海王星は、今、まさに牡羊座の0度を通過し、明日23日にはいよいよ魚座の最終局面を迎える。海王星が魚座
から抜けるのは2026年の1月27日、次に魚座に戻ってくるのは165年後だ。
まだ、もう少しわたしたちにはやるべきことがある。
この違和感を解消するためには、十分に今、この現実を受け入れる必要がある。
この3か月。自分なりにこの人生の不安、不満、憤りを、またはここから見えてくる未来への希望を受け止めたい。受け入れがたい不都合な真実――あの悲しみ、あの憂鬱さもあれもこれも、見え方を変えれば未来を創るための材料になるかもしれない。
そうであることを望みつつ、せめて、女性たちの中には、いまだ生きづらさを感じている人もいるのだ、不安を抱えている者もいるのだということを男性にもわかってほしい。勝手に「女性初」を喜ばないでほしいし、高市首相と同様の活躍をわたしたちに臨まないでほしい。そんなにわたしたちは万能ではない。
前述の浜田さんの「まるで生存を脅かされるような気がするのだ」を思い出す。
生存が脅かされないと人は本気になれない。
脅かされたのなら、脅かされないような人生を生き直すしかないのかもしれない。
では、わたしはわたしの物語を生きよう。
高市さんは「働いて働いて働いて」なら、わたしもわたしなりの生き延びるための物語を。
そのように思った太陽天秤座期であった。
高市さんのこと以外にも、仕事のこと、家族のこと、プライベートな関係のこと、わたしの中のⅦ戦車が揺れに揺れた、そんな1か月だった。
今、無事生還してホッとしている。明日から太陽蠍座期だ。
10/28(火)開催!
今月の月イチ勉強会では、首相となった高市氏は「今」どんな状況にあるのか。チャートを介して考えてみたいと思います。どなたでもご参加できます。
