心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

人間は、自分が信じたいと望むことを…

喜んで信じるものである。

そうカエサルは言う。

最後のティル応用講座はレクティフィケーションだったが、教えるに当たり、今までで一番難しく感じられた講義となった。

レクティフィケーションとは、出生時刻の修正のこと。

主にトランジットやソーラーアークセカンダリプログレッションを利用し、過去の出来事と天体の動きを照応させ出生時間を割り出していく。

なのでレクティフィケーションの作業には、「6歳の時、引っ越しをした」「12歳の時、骨折した」といった個人史が必要となる。

暗闇の中、手探りで失せ物を探そうとする感じ。

かなり地道な作業だ。

ようやく、それなりに手ごたえのある時間にたどり着いたとしても、探し物をしている感は何となく続く。

「果たして、本当にこれが私の探していた答えなのだろうか」と。

なぜなら、それが正確な出生時間なのかどうか、確かめることなどできないからだ(時には、後で母子手帳が見つかるなんてこともあるけどね)。

そもそも私はレクティフィケーションというものに、どのくらい信頼を寄せているのだろうかと考えてみる。

レクティフィケーションのテクニックを学ぶことは、占星術の技術を磨く訓練にはとてもいい。

それは断言できる。

レクティフィケーションほど、ホロスコープと真剣に向き合う作業はない。

持てる知識を総動員し、丁寧に作業を重ねていく。

そうだとしても、やはり私はレクティフィケーションに不安を感じる。

何か禁断の地に、神の領域に足を踏み入れてしまったような、そんな恐れすら感じてしまう。

レクティフィケーションがうまくいかないとき、その理由は明らかだ。

大抵、主観、持論に走りすぎたとき、それは失敗する。

私がそうだった。

ホロスコープは例外だらけだ。

だからこそ面白いのだが、にも関わらず、一度「間違いなくこうだ」という主観に取りつかれると、どんな修正の機会が訪れたとしても、二度とチャートを客観的な視点で見られなくなる。

人間は、自分が信じたいと望むことを喜んで信じるものだからだ。

「間違いなく」などこの世にない。

だからこそ、「何かが違う」と思ったら、こだわりを捨て、いつでも自分の考えを覆せるような素直さ、最初の手順に戻る勇気が必要となる。

それがレクティフィケーションに欠かせない感性だと私は思っている。

きっと反論する人もいると思うけどね。

ティル応用編に参加してくれたみなさん。

1年間お疲れさまでした。

質問などがありましたら、気軽にメールなどで問い合わせてくださいね。

みなさまの占星術ライフを陰ながら応援しています!