心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

私がハウスを重要視する理由

昨夜の実践読みの講座では、3回目ににして、ようやくホロスコープ分析にハウス読みが加わった。

ハウス読みが加わると、途端、ホロスコープ=個人像に奥行きが生まれる。

その分、ホロスコープ分析が難しく感じられるかもしれない。

私もルーキーだったころは、ハウス読みにかなり苦戦した。

本に書いてあることが現場でまったく役に立たず、ハウスってなんだよ!と悶々とした時があった。

ハウスとは、そういうものだ。

いつも言っていることだが、ハウスは生まれた時間と生まれた場所という個人の詳細な情報、地上的な情報を必要とする。

つまり、ハウスはより個人の存在を明確にする情報を持っているということだ。

ここがサインや天体と大きく異なる点である。

サインは牡羊座0度から始まる天空上の任意の位置づけであり、天体はそれこそ宇宙に存在するものであり、地上のものではない。

サインは個人のある大まかな特徴(ティルは欲求と言っている)を、天体は個人の体験の仕方をそれぞれ教えてくれるが、ハウスを理解しないことには、個人の地上での存在のありようがわからないということになる。

地上的だという理由から、医療占星術でもハウスの情報により(特にアンギュラーハウス)、個人の先天的な健康状態を見ることができるわけだ。

だから、ハウスを理解するのはもちろん難しいはずであるし、そしてここに占星術のうまみがある。

私は、そういった理由で個人のチャートを読む際は、サインより、むしろ個人をより個人たらしめているハウスを重要視している。

占星術のサインは、心理学でいうタイプ論――ユングの内向型・外向型、その下位分類である4つの心理機能やシュプランガーの価値の6類型等―――に近いものがある。

牡羊座のあなたは活動的な人です」という分類だ。

従来の占星術は、サインによるタイプ分けが主流である。

学びやすいし、面白いし、ネタになる。

けれど、先ほど書いたように、サインは常にそういうものだという、ある大まかな特徴、傾向しか教えてくれない。

占いサイトにはもってこいだが、個人鑑定には向かない理由はそこにある。

ユングも自身のタイプ論について著書の中で、

私が人間をこの箱、あの箱へと押し込んでいるとか、「彼は直観的な人である」とか「彼は思考タイプである」等々と言ってると思わないでください。よく私は「ところで、何々さんは思考タイプではありませんか」などと聞かされます。私は「そういう風には考えてもみませんでした」と言うでしょうし、事実そうなのです。人それぞれ異なったレッテルをはって引き出しの中に入れてみたところで、何の役にも立ちません。

と言っている。

アドラーもタイプについてこう述べている。

われわれはタイプを重視しないといっておかなければならない。われわれは、人間のタイプには関心はない。一本の木にまったく同じ葉を二枚見つけることはできないように、まったく同じ人間を見つけることはできない。それゆえ、われわれがタイプについて語るとすれば、個人の類似性について、よりよく理解するための的な手段としてだけである。しかし、その際、同じ分類を使ったりはしない。タイプや分類を重要視する人は、一度人をタイプ別に一定の整理棚に置いてしまえば、次に別の分類に人を入れようとしてもできない。タイプによる分類は、もしも、タイプが単なる便宜上の抽象にすぎないちうことを理解していなければ、混乱のもとになってしまう。

もちろん、最初に学習する際には、客観的基準としてのタイプ分けを学ぶことは大切だ。

サインの分類、整理を学習することは、ホロスコープの構造をしっかり理解する手助けとなる。

しかし個人に向き合う際は、タイプから離れ、よい個人に近づいていかなければならない。

太陽、月サインから大まかな方向性と私的感覚をつかみ、天体の組み合わせによる個人の成長プロセスを追いかけ、そしてハウスの個人の存在のありようを理解する。

このように奥行きのあるホロスコープ分析ができれば、しっかり個人に寄り添う鑑定ができるのではないだろうか。

また、ホラリーなどの世俗的な質問を理解するにはハウスは読み解きの要となる。

質問の発生時刻もはっきりしているわけだし、ホロスコープとホラリーチャート=コンサルテーションチャートの組み合わせは、そういう意味で最強かもね。

なので、最初はハウスを考えるのはちょっと難しいかもしれないけど、頑張ってついてきてください。