心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

獅子座は「アンナチュラル」 だからこそのクリエイティブ

先日、私の古くからの知り合いのキャスティング会社の社長さんやデザイナーさんなど、女性ばかり12名ほどが集まったある会に参加させてもらった。

みんなおしゃれで豪快で楽しい人たちばかりなのだが、その中でも私の大好きなアートディレクターの方とちょうど向かい合わせの席に座ることができた。

NYで賞を取るなど、CM業界でずっと活躍している素晴らしい才能の持ち主の女性なのだけど、仕事をしてないときはいつもなんだか自虐的でダメダメで、それがとってもおもしろく、いつも笑わせてもらっている。

鑑定を何回かさせてもらっているので、彼女が獅子座の太陽の持ち主であることは知っているのだけれど、女子会もいよいよ宴もたけなわになり、彼女はいつものようにサービス精神で自虐的にこんなことを言い始めた。

私はね、アンナチュラルな人間なんですよ。

好きな人を前にしたら、右足と右手を同時に出してしまう、そんなおかしな人間なんです。

そしてね、とっても作為的な人間でもあるんです。

いつもなんかぐちゃぐちゃ考えている。

だからね、「自然体」とか言っている人なんて、私からすると嫌味でしかないんです。

これを聞いたとき、私は一人でハッとしていた。

そうだ、そうだ、獅子座ってアンナチュラルなサインなのだ。

アンナチュラルとは、「不自然な」「わざとらしい」「気取った」という意味になる。

確かに。

私の知っている獅子座は、なんだかみんな不器用で作為的で、段取りしないとうまくできない小心者で、どうふるまったらいいかわからないから、とにかく堂々としているふりするしかなくて、だから変にわざとらしくて、でもそれがオモシロくて。

それはそうだ。

12サインで一番作為的なサインのはずなのだ。

だからこそ、宝塚スターになったりできるわけで、自然体だったらあんなド派手でまどろっこしいことなんてやりたくないし、でもだからこそ、創り出すことに意味があるわけだし、その力で人に夢やロマンを与えることができるということだ。

「あるがまま」「ぼくとつ」な牡牛座に反発すること、超えていくことで、2番目の不動サイン・獅子座というサインが成立する。

獅子座のココ・シャネルの言葉では「天分は、持って生まれるもの。才能は、引き出すものよ」ではないけれど、「そこにあるもの」をどう料理するか、あるのかないのかわからない不確かな自分の能力と格闘し続けることが獅子座の仕事みたいなものだったりする。

その作業は、とても自然体などではいられない。

だから、太陽活動は自分の中のナチュラルと向き合い続ける必要がある。

どうすれば自分の「好き」を超え、もっと美しく、もっと輝かしく、もっと人が喜ぶ光を放つことができるのか。

結局、太陽を表現するということ、創作というのもそういうことなのかもしれない。

自然体で生み出したものなど何の面白みもない。

生み出すことの違和感、矛盾、葛藤などを感じながらも、自分の中の完成形を見つけていく行為。

いつまでたっても、自分を打ち出すこと、表現することに慣れないのはこういうことなのかもしれないね。

後悔、反省、内省、分析、しおれたり、恥じたり、落ち込んだり、つまり乙女座の補完がこれにあたる。

だから、表現とは飽くなき調整なのかもしれないね。