心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

中年の危機と占星術の関係――個性化への道程

ここしばらく、このテーマにしつこく食らいついているのは、この通過点が後の人生に大きく影響する重要な時期になると考えているからだ。

人の寿命は長くなり、けれど時代は厳しく、人生半ばで何だかもう、へとへとになったような気分になる。

それでも人生は続く。

それなら、ここで自分をじっくり見つめてみようじゃないか、というのが中年の危機。

でも占星術的に見ても、この時期はそう簡単に乗り越えられるものではない。

なぜなら、トランスサタニアンとの逃げることのできない対決が待っているからだ。

中年期を最初に問題化したのはユングだが、ユング派の分析家で中年の危機の問題に詳しいジェイムズ・ホリスは、この時期をこう説明している。

ミッド・パッセージは、パーソナリティを定義し直し、あらためて方向づける機会であり、青年期の延長であった成人初期と、老いや死が避けられない終盤期の間に位置する通過儀礼のようなものである。

この通り道を意識的に旅する者は、人生をより意味深いものにする。そうでない者は、たとえ表向きはすべてがうまく行っているように見えたとしても、幼児期に囚われたままでいることになる。

占星術では、まず冥王星のアタックで内面の力付けを行うことを要求される。

36歳~39歳くらいの間がこの時期に当たるだろう。

ここで最初の試練となる。

大抵は、心理的プレッシャーを感じる出来事や力争い、依存関係(人でも組織でも)との決別のような形で出ることが多い。

人生前半で形成された自我―――親元を離れ、仕事を見つけ、外部世界の要求に応える活動をしていく―――ことから、さらに発展的に、そしてもっと自由になるための力付けを行う作業に入る時期となる。

この自我=太陽が十分に成長していない場合、冥王星のアタックは、他の力から圧倒されるような体験となることが多い。

特にネイタルチャートで冥王星のパワー=他者の価値観による心理的抑圧が優勢な場合、個人は不安、恐れ、怒りにより、心理的に圧倒される出来事に直面することになるだろう。

まずは、個人がひとりの人間として「立つ」力をつける。

それが重要になる。

この時、忘れてはいけないことは、自らの恐れや不安を「他者のせい」「何かのせい」にしないことだ。

自分以外の要因で不幸になっていると感じているうちは、自分以外のものの価値に圧倒されている証拠だ。

まず、問題を自己の中に探すこと。

それが冥王星の乗り越え方になる。

内面に力を感じられた後、少しずつ人への理解が深まっていく。

次は40歳から43歳くらいにかけて、海王星のアタックがやってくる。

この時期のテーマになるのは「理想主義の崩壊」だ。

見ないようにしてきた問題が、じわりじわりと侵食してくるのがこの時期にあたる。

自分に言い訳していたこと、たとえば老いや仕事への情熱の欠乏、役割に対するプレッシャー等が、のっぴきならないくらい現実となって迫ってくる。

別離、投影の喪失、体調の変化、うつなども体験することになるかもしれない。

劣等感、自己不信、自己嫌悪などのネガティブな感情により、気力減退、現実逃避などの状態に追い込まれることもある。

失ったものを嘆き、手に入れられなかったものを羨み、さらに気分は落ち込んでいく。

ここに心理学者が補償喪失(心理的な防衛が効かなくなること)と呼ぶ状態が生じる。

この時期の重要なテーマは、孤独に慣れることだ。

孤立ではなく、孤独になる。

海王星は内省を促し、気付きを与え、真実を教える天体だ。

まずは、自己の内面とじっくり向き合わせるため、海王星エネルギーは個人を孤独へと追い込んでいく。

そこから逃げ出すのか、それとも恐る恐る向き合い、見たくない真実と格闘するのか。

それにより、人生はまったく違ったものとなっていく。

「真実は、わたしたちが知らねばならないことは自分の内部からやってくるということ、それだけである」とホリスは言い、ユングは「内なる声の力に意識の同意を与えられるものだけが、一個人の人格となる」と言う。

それが十分になされた後、個人は、より大きな社会へとつながりを持つことになる。

本来あるべき自己の姿になることによって、社会に必要とされる人間へと成長を遂げるのだ。

そして、最終的に天王星のアタック――45歳くらいまでに個性化を完成させる。

既成の枠組みを超え、自由で伸び伸びした精神を手に入れられるよう天王星は刺激を与える。

再び生きる情熱を取り戻し、社会の中で自己を飛躍させようとするのだ。

ここから、木星期の大らかな体験へとつながっていく。

ユングは、中年の危機の目標を説明している。

個人は単独の、分離した存在ではなく、まさにその本質からして集合的な関係を前提としているのだから、個性化のプロセスは、より緊密かつより広い集合的な関係へと向かっていくべきであり、孤立に向かうものではない。

これこそ、まさにトランスサタニアンの成長のステップではないか?

この個性化がうまく進まないと、個人は何年もの間、中年の危機の状態に埋没しつづけることになる。

個性化のチャレンジには終わりがない。

もし何か心の奥にわだかまりがあるのなら、いつだって私たちは、私たちのこころに目を向ける必要がある。

それは、いくつになってもだ。

でも若者は、まずは自我=太陽を育成させることが大切。

社会の一員としてのペルソナを形成しないと、後の中年の危機での移行が難しくなってしまうのだ。

つまり、太陽期から火星期の移行がね。

本当は、もっと書きたいことがあるんだけど今日はここまで。

きっと、またしつこく書くかもしれないけどね。