心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

私はどこに属しているのだろう。

3.11は、時間の流れにひとつの目安を作ることになった。

3.11前と3.11後。

あれから3年。

決定的な時間の区切りがあり、私たちは共通認識の中で文脈を語ることができる。

3.11の後、脱原発派はひとつの共同体を作り上げた。

シーベルトという被ばくによる生物学的影響の大きさを測定する単位が紙面にあふれた。

何万人もの人がデモ行進し、「さようなら原発署名運動」には837万人の署名が集まった。

選挙の争点にもなり、マニフェストにも掲げられた。

濃縮ウランを供給しているアメリカの企業が連邦破産法の適用を申請した。

日本の原発が停止したことで、経営に行き詰まったということだ。

このように3.11後、新しい時代の潮流が生まれ、そして共同体、文化、語彙が生まれた。

私たちはその中で、自分の言語=イデオロギーにふさわしい場所を探し求める旅に出ることになった。

共通認識、共通理解とは、同じ言語を手にしているということだ。

そしてボキャブラリーは、何らかの共同体の中で育まれた歴史や文化によって築かれていく。

しかし、言語とは「差異のシステムである」とダリデが言ったように、ありえたかもしれない多様な意味を抑圧することによって成り立つものなのだ。

共通認識の中からこぼれ落ちてしまえば、共通の言語を持つことが難しく、あちら側とこちら側の差異が大きく広がってしまうこともある。

3.11の後、ある心理学のワークショップで、原発推進派と脱原発派に分かれお互いを理解するというワークをやった際、

圧倒的少数の推進派の人たちが口々に自己価値の低下を訴えたのが印象的だった。

「数に圧倒され、自分が間違っていると思わされている気がした」と言っていた。

権力/知識=文化的調教=現実と言ったのは、フーコーだったか。

何が正しく、何が間違っているのか、恐らく、それを決めることは誰にもできないはずだ。

イデオロギーとは、自分が浸っている文化の言葉を用いて作られているものである。

もし、私ができることがあるとしたら、所属している世界=現実が私たちを縛り付けるものになっていないかと常に問い続けることだ。

ところで、今振り返っても2011年、天王星牡羊座イングレス直前の影響力に驚く。

●1月1日

アレクサンドリアで、コプト正教会の教会を狙った自爆テロが発生し、21人が死亡。翌2日、首都カイロでは、抗議のため集まった一部信徒が暴徒化した。

●1月9日

インドのデリーが40年ぶりの寒波を記録し、近隣のウッタル・プラデーシュ州ではホームレス80人以上が死亡。

イランで、イラン航空の国内便旅客機ボーイング727が墜落し、乗客乗員105名のうち72名が死亡。

チュニジアで、失業と食料インフレに抗議するデモ隊が、前日から治安部隊と衝突し、この日までに14人以上が死亡。

●1月11日

オーストラリア北東部のクイーンズランド州が、前日に発生した鉄砲水により、10人が死亡、78人が行方不明。

パキスタン北西部で自爆テロがあり、20人が死亡。

●1月14日

南インド・ケーララ州のヒンドゥー教寺院近くで、参拝者が将棋倒しになり、100人以上が死亡。

●1月17日

南アフリカ政府が、洪水による死者・行方不明者が40人以上に上ると発表。

パキスタン北西部で、バスが爆弾テロに遭い、19人が死亡。

●1月20日

イラクで、イスラムシーア派の聖地を狙った連続爆破テロがあり、50人以上が死亡。

●1月21日

OHCHR、コートジボワール危機で、これまで1カ月間の死者が最低260人に上ると発表。

●1月23日

パキスタン南部で、バスの居眠り事故が発生し、32人が死亡。

●1月24日

ロシア・モスクワのドモジェドヴォ空港自爆テロがあり、少なくとも35人が死亡。

イラクのカルバラー周辺で、イスラムシーア派を狙った連続爆弾テロがあり、最低33人が死亡。

●1月25日

パキスタン各地で、イスラムシーア派を狙った連続自爆テロがあり、計16人が死亡。

●1月29日

エジプトで、25日に始まった反政府デモの死者が100人を超える。

●2月6日

スーダン南部で、武装解除を拒否する民兵による反乱があり、この日までに50人以上が死亡。

●2月22日

ニュージーランド南島クライストチャーチ付近にて現地時間午後0時51分、マグニチュード6.3の地震が発生した。この地震により、日本の富山県外国語学校留学生の関係者28名が死亡した。

歴史は塗り替えられていく。

よりインパクトの大きい物語が、小さな出来事を覆い隠してしまう。

けれど、自分につながりのある出来事を忘れることはない。

私はどこに属しているのだろうか。

3年たった今もまださまよっているような気がしている。

世界をつなげるためには、共通の言語が必要だ。

私は、どの言語で何を伝えたいのだろう。