心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

月の話 続編 月のワガママな声は届いているか

麻理さんからブログにコメントをいただいたので、まずは、それを掲載。

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次のアート講座「関係性」について、いろいろ考えていました。

蟹座から獅子座へ向かうことは、私、個人的にも課題であり、そこには、とっても高いハードルがあることを、ずっと実感してました。でも、だからこそ、すごく、そこのところは、意識してきたと思っています。

月が一番望む「理解」と「受容」。

それを抱えての、獅子座・太陽へのチャレンジになるわけだなあと、ブログ読んで、思いました。

月の望みを、無視してのチャレンジもまた、成り立たないんだということも。

子育ての実践や、絵本・児童文学から培ってきた発達心理からすると、まさに、「他者との出会い」のところなんだと思います。

悩みを抱えて、目の前に座る人は、その時に、その蟹から獅子へのチャレンジを、一生懸命しようとしているわけですね。

私は、理解されるのだろうか、私が望むように受容されるのだろうかと。

それは、3歳のチャレンジと同じかなあ~と、ふと思いました。

何歳になっても、3歳のチャレンジです。

まあ、自分の中には、全年齢の「私」がいるんですけどね。

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麻理さん。

いつも素敵なコメントありがとうございます!

月はいつだってワガママでいい。

3歳児のようにワガママでいい。

そのワガママさを知ってもらいたくて、人は必死に努力し、それが太陽の表現になる。

”モテたい”男はギターを片手に歌を歌い、”話を聞いてほしい”女は自分の知性を振りかざす。

それくらい単純、そしてむちゃくちゃ愛おしいのが月のワガママさなわけで、だから、あまりサインやアスペクトの意味を忠実に読まないくらいほうが、相手の気持ちにしっかり寄り添えたりする。

月と冥王星土星が難しいアスペクトを取っているからといって、いつもダイナミックな欲求を持っているわけではないし、水瓶座の月は、いつも人のためを意識しているわけでもない。

というか、心が弱っている時の月に”個性”や”革新”を求める欲求はない。

もっともっと単純で、移ろいやすく、そして子供っぽくて、ワガママさをわかってほしい、それが元来の月の欲求だ。

そこに成長の方向性としてのサインの目標が加わる。

麻理さんが書いてくれているように、月は3歳児のように、ただ、うまくできたことを見ていてほしいし、すごいねって褒めてほしいし、時には自由に伸び伸びさせてほしいし、だからって放っておいてばかりでは寂しい、そんなものだ。

だから社会生活が長く続くと、月はワガママを言えず、その姿を隠し、自分でもその声が聞こえなくなり、欲求不満、自己疎外、抑圧、不安、孤独…というスパイラルにはまり込んでしまう。

ワガママな声を許そう。

社会生活の中では、そううまくワガママは通らないけれど、それでもワガママな声はちゃんと拾っておこう。

そうしないと、太陽=獅子座へのチャレンジも自分に許せなくなってしまう。

そういえば、もうすぐ蟹座の月ですね。

自分の中の3歳児は、何を理解してもらいたがっているかしら。