先日、大阪の亜弥さんが木星期について、
木星期は最後の「望みを託せる」期。
そういう気分にさせてくれる期。
こんな言葉をメールで送ってくれた。
そうだ、ほんとうにそうだ。
占星術では、木星期とは46歳から55歳くらいの年齢のことをいう。
最近、木星期を生きる女性の方たちと仕事やプライベートを一緒にすることが多くなり、また自分自身も木星期に向かいつつある中で、これはと思うことがあり、改めて亜弥さんの言葉の持つ力や重要性について考える機会を設けてみた。
せっかくだから、緑深い日光東照宮でじっくり考えてみることにする。
社会天体という象徴のイメージから、またエリクソンのライフサイクルの「壮年期」という考え方から、木星期は「次の世代を育てることに関心が持てるか」ということに意識が向く時期となると説明される。
火星期で個人の人生を達成したあと、より社会貢献的に自己を生かしていく段階に入るということだ。
しかし、火星期から木星期の移行、これがなかなか難しい。
火星期で個人の能力が存分に開花されていなければ、つまり、自分自身が十分に確立されておらず、自己実現のための”努力”や“深み” の歴史を持っていなければ、人を育てることに意識が向く余裕なんて、そうそう持つことはできない。
成したことより成しえなかったことに意識が向き、社会の中で孤立感を感じることもあり、限界の感覚が頭をもたげる。
そういった状態をエリクソンは、「壮年期の停滞」と説明している。
けれど、火星期までの戦いを終えた後、突然、“置き去りにしてきた私” が声を上げ始め、素直な欲求が前面に顔を出す。
限界だと思って諦めていたことに再度チャレンジする力がわいてくる。
もう一度、自分の人生に真剣に向き合い、今度こそ恥も外聞もなく欲しいものを欲しいと言うことができるようになる。
そして信頼できる人たちとともに、亜弥さんのいう「望みを託す」ことをやってみるチャンスに乗る機会が得られる。
私の知っている木星期を生きる女性たちは、皆、夢や理想に望みを託し、小さな、または大きなチャレンジに乗り出している。
自分を信じ、人を信じ、環境や運命を信じ、船を前に漕ぎ出していく。
どうにかなるさといった大らかな信頼の力があれば、木星期を人生最大の成長期にすることだってできるのではないか。
なんといっても、木星は惑星最大の天体のなのだから。
ということで、日光の社寺最奥に鎮座している日光二荒山神社で「運試しわなげ」やってみた。
日光二荒山神社は、日光連山の主峰・日光三山(男体山・女峯山・太郎山)を神体山として祀る神社。
どうもパワースポットで有名らしく、特に東照宮から二荒山神社へ続く参道は気が合流する「パワーストリート」と呼ばれているみたい。
3回のうち一回でも入ったら幸運がやってくる。
そんないわれのある投げ縄、結局すべて失敗。
残念! 次回に期待!
明日は尾瀬を歩く予定。
夜、雨上がりの星空に天の川と大きな流れ星を2つ見た。
幸せ…
亜弥さん、木星期の洞察ありがとうございました。