心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

例外と向き合う

さっき知り合いに、「心理占星術って難しいんだね」と言われた。

先日も友人に、「内容が断定的だから厳しい印象を与える」というようなアドバイスを受けた。

生徒さんにも「敷居が高い感じがしてコメントするのも躊躇する」って言われたり。

内容が断定的なのは、多分、そうやって自分を追い込むことで占星術家としての責任を取ろうとしているんだと思う。

性格がマゾっぽいね。

とにかく、いろいろな方のリアクションに感謝をしつつ、これからは敷居を下げる努力もしていかなくちゃいけないと反省。

私の実像を知ると、文章とのギャップに驚く人も多いはずなんだけど、つい文章になると突き詰めた感じになっちゃうみたい。

ブログって、そういう自分発見みたいな側面が面白いのかもしれないけど、最近、ブログを読んで講座のお問い合わせをしてくれる人が増えているので、ちょっと誤解を解きたいと思う。

会ってがっかりされないようにお断りしておくと、私は意外とチャラっとしてます。

で、ある面が抜け落ちています。

すごく抜けています。

そして占星術は…やっぱり簡単ではないけど、でも面白いです。

きのうの続きになるのかもしれないけど、今日は占星術を用いた鑑定で避けることのできない「例外」と向き合うことについて。

どんなに占星術の学習を積んでも、どうしても説明できないニュアンスの感覚というものがある。

これは現場で鑑定をしている人に共通した感覚だと思う。

コンサルテーションの準備を重ね、ホロスコープからの情報を把握したとしても、クライアントを前にすると準備していた物語とは違う印象をつかみ取ることがある。

教科書にも載っていない、講座でも教わらない、クライアント個人のホロスコープの象徴のその奥の、またはその周辺をただよっているニュアンス。

このたどり着けない感覚は、実は非常に大事なものだ。

なぜなら、ここが自分の経験値というか、自分のレベルの実感になる。

もちろん「私は直感力がすぐれてるから、なんでもわかる」みたいな自分を客観的に見れない全能感あふれた人は別だよ。

今私が書いているのは、謙虚に学習している人がぶち当たる壁のこと。

「わからない」という焦りのような感覚の話。

クライアントは自分が予想しない象徴の使い方をし、自分の思いもよらないトランジットの扱い方をし、いきいきとホロスコープを生きている。

これは至極当たり前のことで、だから「人ありき」の読みをするように言われているんだけど、うっかりすると、つい既知の読み方にはまってしまいやすい。

特に有名人のチャート読みばかりやっていると、後付けで象徴を解釈して当てはめることができるので、生きたチャートを読む際、例外だらけの感覚に陥ったりする。

なので初心のうちは、すべてのホロスコープは例外しかないと思うことから始めるしかない。

わらないことだらけ。

知らないことだらけ。

それを前提にして、既存の知識を超え、クライアントが作った未知の象徴世界に入り込んでいく。

そこは、まさにアリスのワンダーランドのような世界。

「drink me」と書いてある瓶に恐る恐る手を伸ばすような感じ。

つまり新しいホロスコープとの出会いは、未知の世界への冒険だと思っていい。

自分の足りない象徴に出会うことは、自分を知り、自分を育て、自分を豊かにするのと同じことだ。

だから、面白い。

こういう面白さを実践講座で伝えていけたらと思っている。

私の文章が堅苦しいだけで、私の講座も心理占星術のチャート読みも、もっと楽しいです。

敷居は低いので、是非、気軽に講座に遊びに来てください。