大阪知事選について書いてみることにする。
始まる前は、マスコミの橋下元知事に対する「黒い疑惑」攻撃があまりにもすごくて、一体どうなるんだろうと思ってたけど、やっぱり圧勝だったね。
物事は落ち着くとこに落ち着くというか、「民意が選んだ」と橋下元知事は言ってたけど、あれは完全にマスコミ&永田町の敗北だ。
もう、あんな個人叩きの三文記事では民意はついていかない。
彼が黒かろうが白かろうが、求めているのは「職員の給与体系にしっかり見直しをかける」「民意を無視する職員は市役所から去ってもらう」「変えたくない人は敵」という言葉を口にし、行政の見直しを図れる人間だ。
それが民意の答え。
時代が求めているものを理解できないマスコミなんて、一体何の価値があるんだろう。
下世話な記事書いて、人の足引っ張ってる暇があるなら、景気対策でも考えればいいのにね。
民意を理解する感性は、蟹座である橋下元知事の能力なのかもしれない。
その蟹座のテリトリー意識をこれからどの程度広げていくつもりなのかはわからないけど、永田町にもいい刺激になったのには間違いない。
気を引き締めていかないと、あっという間に足元をすくわれる。
未来の保証は、もう誰にもないと思っていい。
橋下元知事と同い年の知り合いは、彼の活躍を大いに喜んだ。
年功序列の会社の仕組みを変え、結果を出した人間が評価されるシステムを作りたいと意気込んでいる。
しかし変化はあっという間だが、その変化を定着、安定させるまでには時間がかかる。
一足飛びで得られるものなどない。
つまり変化=天王星は、忍耐=土星こみで考えなければならず、その不安定さ=天王星に耐えられないなら、黙って既存の枠組み=土星に収まっているしかない。
2009年、私たちは「民主党に変われば夢のような魔法で日本を変えてくれるはずだ」という期待を抱いた。
結果はこの通り。
けれど私は、2009年に民意が選択した変化が無意味だったとは思わない。
地震の余震と同じで、まだ収まるところに収まりきれていないのだろう。
ただ、揚げ足を取るだけのマスコミの姿勢にうんざりしている。
まず、変わらなければならいのはマスコミだ。
マスコミは憂国の情とともに、解決策を絞り出すだけのクリエイティブな脳みその使い方を学ぶべきだ。
「憂国」といえば三島由紀夫だが、11月25日は三島が自害した日。
最近、三島由紀夫のことを目にしたのはそのせいか。
あれ、よい作品だったね。