心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

占星術が持つ制度的「知識と権力」から個人を解放しよう

今週末は、名古屋→大阪。

関西方面、週末はさらに暑くなると聞いていますが、講座のほうもかなり盛り上がりそうな予感。

明日の名古屋ホラリー&コンサルテーションチャート講座4回目は、みんな大好き「発言小町」の回ですし、明後日の大阪は、久々の「心理占星術のためのアドラー早期回想&ナラティブセラピー」をやる予定。

その後は、火星振り返り会も開催します。

で、今日は少しだけ、土曜日の3限目に行うナラティブセラピーの話。

実は、ナラティブセラピーの成り立ちや理論を説明するのはそう簡単ではなく、「個人とは、社会的、心理学的、そして言語学的構造によって形づくられるものであって、個人はそれを制御することはできないが、自分たちはそれを探求して明らかにすることができる」という構造主義から、さらにフランスの哲学者であり歴史学者であるミシェル・フーコーが中心となってポスト構造主義を発展していったものをマイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンが体系化をしたといわれている。

魅力的な理論はたくさんあるけれど、とりわけ「セラピストとクライアントがクライアントが支配されている問題のストーリーを書き換えることに取り組む」という、実に共同手作業的なアプローチを取るというのがナラティブセラピーの中心的な考え方だ。

その際、その支配とは「知識と権力」の圧力から成り立っていると考えられている。

ひとたび、個人が社会における言語で表現されたものに統合されると、特定の文化的真実があたりまえのこととみなされ、特権化される。

その結果、オルタナティブなもの――別の選択肢や代わりとなる生き方――を構築し、受容されることが抑圧されていくということだ。

ホワイトいわく、「セラピスト自身が”知を介した権力”をめぐる古典的な分析の中にとどまっているとすれば、人々の人生と関係性を形づくる、多くの社会的な力や構造的な不公平さには気づかないままになってしまう」と主張している。

ここでは、あまり長々とそれについては論じないけれど、私がこの意味に出会ったとき、「占星術に必要なものはこれだと」確認したのをとてもよく覚えている。

占星術という文化に固定された言語は、ときに非常に支配的な力を持ち、そしてまた、ある意味の中に個人をがんじがらめにする力を持っている。

占星術を学び始めたとき、私は講義や本を読み、占星術の象徴の固定された解釈を読み、とても息苦しくなったことを思い出す。

太陽と月が水瓶座の私は、「水瓶座は変わり者。人に対してクールにふるまい、独立心があり孤独を愛する」という解釈に釈然としないモヤモヤとした気持ちを抱え続けてきた。

それが私の目指す生き方なのか?と常に疑問を持ち続けた。

私が水瓶座らしいとされている言動をすると「それ見たことか!」と嬉々として喜ぶ人もいた。

まさしく暴力のようだった。

占星術業界は「オルタナティブ」という発想がまるでなく、これではナラティブセラピーのいう「問題のある物語を支えている拘束から個人を分離する」どころか問題ある物語に居座り続け、人生の可能性を遠ざけることにもなるかもしれない。

私は〇〇座だから、

私は太陽と○○がスクエアだから

私は6ハウスが強調だから、

といった言語に支配され、違う選択に目をつむってしまうことにもなりかねない。

4ハウスに太陽や月を持っていても、点々と旅をしながら仕事をしたっていいではないか?

天王星が働いていても、静かなる平安を望んでもいいではないか?

水瓶座が強く働いていても、他者との深い関係を望み、たっぷりと愛情を注いでもいいではないか?

そもそも人間は、誰もが「オルタナティブ=例外的」な生き物なのだ。

だから、占星術が持つ制度的「知識と権力」から個人を解放し、新しい可能性を開いていこうではないか?

土曜日の3限目は、皆さんのチャートの中からオルタナティブストーリーを見つけていく練習をします。

新しい気持ち、新しい言葉でチャートを再著述していきましょう。

「効果的なセラピーは、人間の可能性についての好奇心を喚起し、イマジネーションの戯れを引き出すような方法で、感動せずにはいられない自s寧の苦境の再著述に人間を従事させるものだ」とマイケル・ホワイトは言っています。

そんな時間をみんなで送れるといいですね。

詳細はこちらです。

まだ席あります。

お時間ある方、ぜひ自分のチャートを見直してみましょう。

大阪3限目の詳細はこちらから。

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大阪はアドラー早期回想&ナラティブセラピー