これはカスタネダ著「無限の本質」の中のドン・ファンの言葉だが、借りた金を返すという意味を示唆しているわけではない。
無限の中へ飛び込む前に人生を振り返り、受けた恩義に感謝を表し、恩義を清算するのが戦士・旅人の心得だというようなことを言っている。
「戦士・旅人は、前に進むために個人的恩義の敷居を超えてこそ」自由を手にすることができるというのだ。
またドン・ファンは、こんなことも言っている。
自分にとって重要な出来事や人物というのは、その人間の人生において特別な重要性をもっている。
戦士たるもの、自己の記憶を丁寧にたどり、どのように生きたかを証拠立てる特別なアルバムを作らなければならない。
恩義を受けた記憶の中に、すべてを放り出し、逃げ出した私を黙って受け入れてくれた那須の友人がいる。
家出の理由は一切聞かず、私のそばに静かに寄り添ってくれた友人。
前のブログでも書いたと思うが、友人の両親は那須高原でペンションを経営していた。
冷たい朝、一緒に犬の散歩に行ったり、黒磯まで買い物に行ったり、ごちそうを振る舞ってくれたり、とにかく温かいもてなしをしてくれて、私はすっかり元気を取り戻すことができた。
いよいよ帰る決心をした時、私は彼女に「こっちに戻ったらお礼をするね」と言った。
けれど日常生活に戻った私は、彼女のことも、彼女の家族のこともすっかり忘れ、再び余裕のない人生に埋没していった。
これは、若さゆえの甘えだろう。
そしてその3ヶ月後、彼女は交通事故で亡くなった。
彼女は25歳だった。
今年の7月に彼女の夢を見た。
彼女の誕生日が近かったからだろうか。
私は戦士でも旅人でもないけれど、ドン・ファンの「戦士・旅人は、負債を未払いのまますますようなことはしない」という言葉を思い出すたび、後悔の思いが押し寄せる。
私は、負債を未払いのまますましてしまった。
カスタネダも「無限の本質」の中で、感謝の言葉を伝えることなく友人を亡くしたと書いている。
それに対してドン・ファンは、「これから先、彼に負うているものを返すことは絶対にできんのだぞ」と厳しい言葉を浴びせる。
その上で「友達の記憶をつねに新鮮に保つこと、命ある限り、そしてそのあとも、活き活きと維持し続けることだ」という助言をカスタネダに与えた。
明日、彼女の墓参りに行く。
もう2度と彼女に直接お礼を言うことはできないし、だから結局、墓参りは自己満足でしかないのだけれど、それでも人間は忘れてしまう生き物だから、何とか毎年この時期には都合をつけて行くようにしている。
彼女の記憶を新鮮にとどめておくために。