昨日、占星術におけるイベントの一つ、冥王星の2回目の水瓶座への移動がありましたね。これと昨今の派閥解散、議員辞職がどう結びついているのか、こじつけではない解釈ができるのか、こういったことを考えるのってやっぱり面白いですね。
占星術的な正解など、生きてみないと、体験してみないとわからないことばかり。だから、時代の空気を胸いっぱい吸い込んで生きる。なんでもかんでも見てやろうと目を大きく開けて生きる。何事も聞き逃すまいと耳をダンボにして生きる。
天体の運行と共に生きるということは、懸命に生きるというのと同義なのかもしれません。
ということで、明日は2024年最初の月イチ勉強会です。
明日も対人問題がテーマになります。
明日は、Mさんから寄せられた以下のお悩みになります。
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対人関係の対等な力加減が難しい。もっと自分を出した方が良いのかもと思うのだが、相手を目の前にするとが何を求めているかを意識してしまう。自分を開放して豊かな人間関係を築くにはどうしたらよいのか。
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このように考える人はMさんだけではないですね。
気心しれた関係でさえ、このようなことを意識しながら相手と対峙しているのではないでしょうか。
人生には正解がないとしても、ホロスコープの構造からこの悩みをどのように扱えるのか、ぜひ皆さんで一緒に考えてみましょう。
先日のnicoPLANET・2024水瓶座イングレス号「星宙百景」の中でこのようなことを書きました(他の記事の詳細は、後日またブログでご紹介する予定)
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もともと蠍座の支配星である冥王星には、「自分以外のものを頼る」という意味がある。
人は一人では生きていけない。だから他者や組織といったものを頼り、属し、生存率を高めていく。子どもは親を頼り、学生は友人や教師、学校や塾を頼り、社会人になれば会社や配偶者、地域のコミュニティ等を頼る。といった感じだ。頼り合うことで、人と人は「絆」をいうのを覚えていく。人と人がつながることで、より安心を深めていくということだ。
しかし、もともと「絆」というのは、よい意味で使われていたわけではない。昔は馬、犬などの動物をつなぎとめる綱のことを意味していたり、また「ほだし」と同じ意味で使われていて、相手の情にひきつけられて、心や行動の自由がしばられるという意味でもあった。なんとも冥王星的な意味合いで使われていたということになる。
また、自分以外のもの、他者や組織との蜜月の関係は、永遠に続くわけではない。すべての関係性は、いつか終わりを迎える。
終わりの時というのは、様々なバリエーションがある。たとえば、単純に卒業とか転居ゆえの終わりもあるだろう。相手が関係を望まなくなることもあれば、自分がそこにいることに耐えられなくなることもある。消滅や死別もある。ハッピーエンドもあれば泥沼化することもあるだろう。
冥王星的体験を平和的に行うためには、蠍座の副支配星としての火星力というのが必須だ。自立的、主体的な力。愛着のテーマで言うと、「その関係は、出発を可能にする結びつき」であるかどうかということになる。
「出発を可能にする結びつき」とは、お互いの自立性、主体性を高めある関係性であるということ。力を試すことを喜び合い、そしてその関係がなくても健やかに生きていくことができ、その関係があれば、より充実した価値をお互いが享受できるということだ。
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以上には冥王星のことを中心に書きましたが、今回の一連の出来事は、または人生の中で自分が「豊かな人生を生きられてない」と感じる人の多くは、冥王星、天王星の影響が多大にあるのではないかと思っているからです。
この辺は、ホロスコープ実践読み講座等でも詳しくやりますが、明日の勉強会では改めて今日のブログの表題である「冥王星、天王星の影響から逃れて、金星、火星の力――出発を可能にする結びつき――を取り戻そう!」というのをやりたいと思っています。
受講生の皆さんなら、ホロスコープにおける天王星、冥王星、金星、火星の構造は理解していると思いますが、では、悩みに対して、どのような解釈をしていけばいいのか。今回の勉強会では、この辺を丁寧に言語化していけたらと思っています。
Mさんは動画での参加になりますので、ライブ参加の皆さん、知恵を絞って一緒に考えていきましょう。
冥王星の移動など、時期的なテーマも重要になると思います。
ぜひ皆さんと関係性の理解と共に、「今、みんなが意識すべきテーマ」を一緒に考えていきましょう!
最近の喜びごとは、毎日ベランダにメジロがやってくること。どうもアロエの花の蜜が目当てらしい。
抹茶色の小さな姿がかわいくてかわいくて、息を止めてその姿を見守っている。
これがアロエの花。冬の日に炎のような明るさをもたらしてくれる。
これも喜びごとの一つ。