心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

象徴の沼の魚たち

まずは、カイロン大阪のみなさま。

お疲れさまでした。

そして、身代わり鳥を引き取っていただき本当にありがとうございました!

ラッピングのプロであるayaさんに素晴らしいアドバイスまでいただき、「自己表現することにより、人からの声を得る」という獅子座ー水瓶座の循環を体験し、ほくほく気分で家路に着くことができました。

諸事情で講座に参加できなかったNさん。

11月のアネモネの会でお会いしましょうね。

最近、私の講座では、実践読み講座が続々始まっている。

ここまで進むと、多くの人たちが占星術の壁に当たる。

今まではテキストの情報を追いかけるだけでよかったが、「月は、何をしたい天体ですか?」「太陽のエネルギーとはどういうことでしょう」「牡牛座の月は、どのような所属感覚を持っていますか?」「蟹座の月であるということは、どのような難しさがあると考えられるでしょうか?」など、いきなり象徴の世界に放り込まれてしまうと、多くの人は混乱する。

みんな、天体の意味もサインの意味も、何となく頭ではわかっている。

わかっているのだけれど、それを言葉にしようと思うとうまくできない。

「説明してもらうとわかるんだけど…」と、とても頼りない様子を見せる。

私も最初は、もちろんそうだった。

じゃあ、どのように学習したら、一体「わかった!」ってなるんだろうね。

大阪の講座でも話をしたけど、象徴読みに自信がつくことはないかもしれないね。

特に鑑定の現場では、どれだけ経験を積んでも「この読みでいけるか?」という不安は残るものだ。

象徴とはそういうものなのだと思う。

私の経験上、教科書に書いてある「1ハウスの火星は○○である」という読み方が実際の現場で使えたことはほとんどない。

金星という引き出しを開けると、そこにきれいに象徴が並んでいて、いつでも取り出しやすい状態になっているなんてことはあり得ない。

25歳のOL、55歳の会社経営者、離婚の相談、子供の悩み、職業の方向性、私とは何者か…

年齢も性別も悩みの種類も違う相手を前に、教科書通りの読み方がしっくりハマるわけがないからだ。

私の象徴の世界のイメージは、やはり底なしの暗い沼という感じだろうか。

金星の象徴ひとつをとってみても、そこには人類の歴史とともに生きてきた膨大な象徴の歴史があるはずだ。

その中には、私の知識では到底知り得ることのない象徴も限りなく沈んでいるだろう。

だからこそ、的確に魚を引き上げるためには、ひたすら象徴の沼の魚の数を増やしていくしかない。

人を観ては、「金星はこんな感じね」「土星をそう感じているのね」と、ポイポイと象徴のイメージを沼に魚を放り込んでいく。

ネイタルチャートだけじゃなく、イベントチャート、メディカル、ホラリー、マンデン、様々な角度から象徴をイメージする学習も重ねるのもいい。

現場では、そこに手を突っ込んで手探りで魚=象徴の意味をつかみ、違うと思ったら、また沼に手を突っ込んで…を繰り返し、その時々のシチュエーションに合った魚を探し当てていく作業を行っていく。

うまくいく時ばかりではないが、「生きた魚=象徴」の鮮やかな実感は、実際、現場で体験できるものだと思う。

けれど、私はすべての事象を象徴に結び付けようとは思っていない。

占星術を学習している人たちの多くに見られる「星に振り回される生き方」、また「何でもこじつけようとする読み方」というのをあまり心地良く感じていないからだ。

必要な情報を的確に利用するためには、ユング占星術について未開人的であると指摘した「直観の学問」だけであってはならないと考える。

勇気を持って魚を釣り上げては失敗をする、といった経験を積んでいく。

また、海王星(象徴言語)→天王星(選択の力)→土星(現実化)→水星(言語化)といった道筋をしっかり意識し訓練する。

そうすれば占星術は、ユニークかつ有益なツールになることだろう。