心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

時には、お気に入りの自己像を手放さなくてはならないときもある

必要がないなら、無理に変わる必要などない。

物事がうまくまわっているのなら、無駄なエネルギーを使わず、現行のやり方、システムでやっていけばいい。

けれど、もし自分でも「このままではマズいぞ」という気づきを手にしているのなら、やはりここは重い腰を上げて、自分の人生に真剣に取り組んでも損はない。

 

こういう仕事をしていると、人の”薄々わかっているのだけれど”という気づきのタイミングに立ち会うことが多い。

普通?に暮らしている人々が心理占星術などというよくわからないものに頼ろうとしてくれるのだから、まあ”いよいよ”のときということになるのだろう。

 

または、心理占星術を真剣に学びたいんです!という人たちも、ある種の目覚めのタイミングであることが多い。

意識的であれ、無意識的であれ、なんというか「自分の人生をどうにかしたい」という切実な衝動に突き動かされたときというか、そういうときに心理なのか、スピリチュアルなのか、オカルトなのか、こういった扉を開くときだということだ。

 

しかし、変容はそう簡単には起こらない。

むしろ、固定された象徴――私は柔軟サインだから迷いやすい――に身をゆだねると、より深い轍(わだち)=言い訳、言い逃れ=合理化にはまり、固定された自己像から抜け出せなくなる。

 

私の講座や講座、ワークショップでは、日々、こういった轍(わだち)から抜け出すために占星術とナラティブセラピーを結びつける技術をお伝えしているわけだが、先日行ったアドラー早期回想ワークショップ&ホロスコープリーディングは、うまくいけばその効果をもっとも狙える技術だとしみじみ確信した。

 

私自身、10年以上続けてきて、アドラー早期回想というワークに信頼を寄せているというのもある。

守られた環境、エンカウンターグループ的な環境も功を奏しているかもしれない。

参加者の協力なしには、あのようなユニークでパワフルな気づきは間違いなく得られないだろう。

そして、そこに心理占星術ホロスコープ解釈というのが加わることで、視覚的に「あーここか。これがこの人が大切にしている、大切にしすぎているライフスタイルか」というのがはっきりとわかる。

 

こういった要素がうまく絡み合い、いつも期待以上の学びを手にすることができている。

 

今回のワークでの大きな気づきは、やはりアスペクトの持つ「物語性」だろうか。

いつも講座でお話ししている、

 

どこからきて、どこにいて、どこへ向かうのか

 

が、一つのアスペクトからまるで映画のように伝わってくる。

 

3,4分の早期回想と一つのアスペクト

これが30年、40年、50年と続く個人のライフスタイルだとしたら?

そして、そこに光を当て、変容のきっかけを作ることができるとしたら?

 

これこそが生きたホロスコープなのだと、今回、深く実感することができたし、おそらく参加者の皆さんもそのように感じてもらえたと思う。

 

けれど、ワークショップ内でも話したことだが、やはりどのようなワークも”きっかけ”を与えるにすぎないというのは確かだ。

いわゆる「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」わけで、最終的に新しい一歩を踏み出せるかどうかは本人次第ではあるし、世の中にこれだけ次から次へと新しいカウンセリングの技法やセラピーのテクニックが生み出されるということは、結局、どれもこれも”帯に短し~”でもあり、また「手っ取り早さ」「目新しさ」ばかりが目につき、大した効果が得られないものが多いというのも現状だ。

 

そういった状況だからこそ、長く続けていると「いいものはいい」ということになり、今回、その効果をしみじみと手にできて、とてもうれしく思った次第である。

 

しかし、長く続けているからこそ、現場ではミラクルが起こることはほとんどないことも知っているし、ミラクルを狙うことの危うさも知っている。

そういう中で今回得た気づきの一つに、もしも変わりたいと本気で望むなら、本人が気に入っている(ように思っている)自己像を手放す必要があるのだということだ。

 

のんびりさんの私

おっちょこちょいの私

お人好しの私

気を遣いすぎる私

 

日々、いろんな「私」の話を聞かせてもらっていて、それなりに「〇〇な私」はユニークなエピソードもあったりするけれど、本当にその自分のままでいることが、これからの未来に必要なのだろうか。

これからもっと成熟していく可能性があるにもかかわらず、ちいさい子供のままの「〇〇な私」でこの先満足し続けられるのだろうか。

 

たまには、もっと厳しかったり、強かったり、意地悪だったり、立派だったり、カッコよかったりしてもいいのではないか?

本気で優しかったり、スイートだったり、ユーモアたっぷりだったりしてもいいのではないか?

もう大人なのだから、いつまでも「人に嫌われたくない」なんて言い訳はやめて、自己像をもっと前へと進めてもいいのではないか?

 

野田俊作先生の著書「性格は変えられる」ではないが、その気になればいつでもその像を手放すことはできるのだ。

アドラー曰く

 

自分自身の意思で「変わりたい」と思えば、変えることは可能。

なぜならば、現在のライフスタイルは自分自身が作りだしたものだから。

 

なわけだから、本気で変わろうと思えば「〇〇な私」なんか一瞬にして手放すことは難しくない。

けれど、人は「〇〇な私」にすがって生きてもいるわけだから、まあライフスタイルというのは容易には変わらないものだったりする(ということは、人に対する〇〇な母、〇〇な息子という他者イメージももちろん変えられるということになる)。

 

ということで、本気でオルタナティブストーリーを語りたかったら、まずは自分のライフスタイルに気づく必要あるし、それにはアドラー早期回想&ホロスコープリーディングワークショップはなかなかパワフルな技術であるので、この練習はしばらく続けていこうかなと思っている。

 

ワークショップ中にもお話ししましたが、次回から少しずつホロスコープリーディングにも力を入れながら、アドラー早期回想のライフスタイル分析の理解を深めてみましょう。

 

ちょっとこれはホロスープの理解、とくにアスペクトの理解を深めてくれるだけではなく、ナラティブセラピーの効果を支えてくれる大事なテクニックになるなと実感したので、次回からより丁寧にこの二つの技術を深めていこうと思います。

 

ということで、参加者の皆さん、今回も大切な早期回想をシェアしていただきありがとうございました。

もっと続けてほしいという声をいただきありがとうございます。

では、次回も楽しく早期回想&ホロスコープリーディングをやっていきましょう!

 

nico