心理占星術と未完成な日々┃nicosmic life

自分自身が納得できる人生を歩むために、ホロスコープの構造を利用する

土星問題 少々

この週末、私の生徒さんがイベントで鑑定デビューをした。

とても緊張しているようだったが、きっと上手にやってくれたと思う。

現場での体験を積むことは、どんな勉強にも勝る。

予期せぬ人の反応に対処することは、どの仕事にも必要な感性だろう。

何事も、自分の思った通りには進んでいかない。

クライアントは、コンサルテーションの準備段階では気付かなかったことを教えてくれる。

私に太陽・海王星のスクエアや冥王星・水星のコンジャンクションの使い方を教えてくれたのはクライアントだ。

彼らは私の予想をはるかに超え、パワフルで有意義に天体を活用していた。

トランジットもそう。

天体の難しいエネルギーに立ち向かっている姿勢は、いつも勇気をもらう。

もちろん、その逆もある。

どうしても、チャートと人物像、現象がマッチしない。

あるべきものがそこにはない。

先日もそうだった。

明らかに仕事上での活躍のタイミングなのに、「仕事を辞める予定だ」と言う。

やっと手に入れたポジションなのにもかかわらず、積み上げてきたすべてを投げ出す予定なのだ。

プレッシャーや責務のために。

これは間違いなく土星問題の症状のひとつだ。

「この努力、本当に報われるんですか?」

彼女は、正当な評価や結果が存在することを疑っていたし、それに意味を見出すこともできなくなっていた。

昇進した途端、仕事に情熱が持てなくなった。

正社員にならないかと勧められたら、急に何もかもが面倒になった。

あれこれ言われると、やってられないという気分になる。

権威ある人を前にすると萎縮、または反発を感じる。

これらは、よく見る似たような問題。

欲のない人。

のんびりした人。

自由人。

変化することが好き。

これらは、そういった人をポジティブな表現で形容した言葉。

こういった言葉を使えば、安心する人、喜ぶ人も多いかもしれない。

でも、本心はどうなのだろう。

きっと、やってこなかったことを後悔する人生になるのではないだろうか。

土星は最終的な自己像をイメージさせるのに役に立つ。

土星は「こんな自分になりたい」という像に向かうために、今の努力があることを教える。

それを子供に教えることができるのが父親、または父親的な人物だ。

そういう権威者との関わり方を大きく間違えると、ある一定の枠組みの中でしか生きられないか、もしくは社会的に満足できる結果を得ずして、気ままなその日暮らしを続けることになる。

彼らは、責任感がないのではない。

責任感が強すぎる、または責任の意味を履き違えているのだ。

土星の目的は自分に与えられた役割をこなすことであって、完璧な結果を出すことや必要以上に責任をかぶることを要求してはいない。

自分の「できること」の限界を知り、それを超えた時は誰かを頼ってもいい。

最近、土星のことばっかり書いているのは、私の軸に土星がウロチョロしているから。

今の私のテーマになっているのかもね。

昨日から始まった初級講座でも土星について熱弁をふるってみた。

若いうちは、大した問題にならないのが土星問題のやっかいなところ。

年を取るごとに、土星は頑張った人には褒美を、逃げた人には試練を与える。

土星は、いつまでも追いかけてくるのだ。